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モントリオールに向かう機内で西川美和監督の日本映画「永い言い訳」を観ました [映画を観ている]

昨日から、出張でモントリオールに滞在しています。私にとってモントリオールは二回目の訪問(前回は二年前。その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2015-09-18となります。今回は一週間程滞在する予定でして、仕事の合間に楽しむこととなるこの街のことについては、これから紹介したいと思いますが、今回は、モントリオールに向かう機内で観た西川美和監督の「永い言い訳」(2016年/日)について、書きたいと思います。

この映画は、いい意味で日本映画らしい良作だと思いました。愛人との不倫中に不慮の事故で妻を失った中年作家の自己再生の話なのですが、何と言っても、この主人公のダメ男ぶりに共感が沸きます。ある意味、現代における中途半端なインテリ系中年男の典型と言えば良いのでしょうか? 自分自身も含め、この主人公を自分とを重ね合わせる方は多いかと思います。そんな、人生を勘違いし、誤魔化しながら生きてきた男が、妻の死に直面し、そして妻も自分をかけらも愛していなかったという事実を知ってから、初めて自身の人生に真正面から向かい合うこととなります。それからの彼の生き方はなんとも不器用なものですが、自ら他者を愛そうとする、その根っこの心根があるからこそ、観ている方は共感を覚えるのでしょう。

ストーリーの終盤、そんな彼が、「家族」の危機を迎えた妻の友人の息子に向かって、「自分を大事にしてくれる人を大切にしないとダメだ。そうしないと、僕みたいに誰も愛せなくなってしまうんだ」と語ります。しかし普通に考えると、この台詞の後半部分はむしろ、「自分を大事にしてくれる人を大切にしないとダメだ。そうしないと、僕みたいに誰からも愛されなくなってしまうんだ」が正しいと思われるのですが、それをわざわざこのように言ったところに、主人公の(自我が目覚めはじめている)友人の息子に対する)優しさ、愛情を感じると共に、勘違いし、誤魔化しながら過ごしてきた自身のこれまでの人生を否定し、これをきっかけに自己再生へと向かおうとする主人公の気持ちを強く反映したものとなっています。そして、こうした主人公の、これまでの自身の人生、ひいては自我の否定の意識は、主人公が妻を失って初めて出版する本の扉に印刷された「人生は他者だ」という言葉へと繋がっていきます。現代において人は「他者」との関わり合わないの中でしか、生きていくことは出来ないのです。そんなことは当たり前だと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私にとっては改めて深く考えることとなりました。

上手く言えないのですが、日本の文芸映画の傾向として、監督の考えや想い、やろうとしていることが、そのまま素直に作品に出ることが多いことが挙げられるかと思います。私にとって、この映画もそういう部分があり、映画を観ていても、その背後にある映画監督の視点を常に意識することとなりました。日本文学における「私小説」からの伝統とでもいうべきこの「自己意識」こそ、日本の文芸映画の特色かと思います。久しぶりの邦画体験でしたが、とても刺激的なものとなりました。今度はこの原作である、監督自身が書いた小説の方も機会を見つけて読んで、もう一度考えてみようと思います。

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映画「永い言い訳」公開ポスター


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