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先週の金曜日にアンソニー・ドーアの「すべての見えない光」を読み終えました [本を読んでいる]

先週の金曜日に、アメリカ、オハイオ州出身の小説家、アンソニー・ドーア(Anthony Doerr 1973年~)が2014年に発表した小説「すべての見えない光」(原題「All the Light We Cannot See」)を読み終えました。この小説は

ラジオから聞こえる懐かしい声が、若いドイツ兵と盲目の少女の心をつなぐ。ピュリツァー賞受賞作。孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド――。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描く感動巨篇。(以上Amazon.co.jp「内容紹介」からの引用)

というものです。

これは見事な小説です。第二次世界大戦時代のヨーロッパを舞台に、孤児院の幼い兄妹が偶然捉えたフランスからの謎の短波ラジオ放送、フランスの博物館に眠る伝説の宝石、主人公の友人が愛する鳥の図鑑といった様々な伏線が絡まりながら、物語は語られていきます。ラストに向けてそれらが収斂していく様は、本当に驚くべきほどで、この小説家の素晴らしい力量を実感することとなったのですが、気になったのは、余りにもまとまりすぎているというか見事すぎて、逆に小説が本来の持つパッションというか、根源的な力を削ぐ結果になっているような感じがしたことです。多分、二人の主人公の十代のころがメインとなっていること(ある意味、それはとてもステレオタイプな印象を与えます)も関係しているのでしょう。とても意地悪な言い方をすれば、この小説は余りにもテクニックというか、技法が素晴らしすぎるのです。

とはいえ、私はこの本を、それこそ夢中になって読みました。テーマがテーマだけに、以前、ジョナサン・リテル(Jonathan Littell, 1967年~ )の「慈しみの女神たち」を読んだ時のような(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2012-08-27圧倒的な読後感を期待した私が余りにもあまのじゃくなのでしょう。この本は、ほんのちょっとだけ私の好みではなかったというだけのことかと思います(実際、Amazonのレビューではほぼ全て絶賛の嵐です)。ごめんなさい。これは私自身の個人的な感想です。あまり参考になさらないで下さいね。

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アンソニー・ドーア「すべての見えない光」(新潮クエスト・ブックス)


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