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村上春樹著「騎士団長殺し(第1部・第2部)」を読み終えました [本を読んでいる]

今日のお昼休みに、遅ればせながら、村上春樹著「騎士団長殺し(第1部・第2部)」を読み終えました。この本は長女が買って、読みかけのままほったらかしになっていたので、ならばその隙にと(苦笑)先週の金曜日から読んでみたものです。村上春樹さんの小説は私にとって読みやすいもので、今回もつまることもなく、すんなりと読み終えることができました。

内容はいつもの村上春樹ワールドとでも言うべきものです。彼の小説はいつも、どこか現実離れしたものなのですが、だからと言ってとっつきにくいものではありません。本作は私にとってはセックス(性交)を強くイメージさせるものでした。第2部の後半あたりはほぼ、そうした描写ともいうべきような記述が続きます。

一体、この小説が何を語っているのは、私にはよく分からないながらも(泣)、やはり自己再生の物語ということかと思います。主要な複数の登場人物が古典西欧音楽を好んで聴く設定であることから、クラシック音楽関係のの文章が特に多いことも、この小説の特徴です。そうして点を含めて、読みながら、その背後にある作者の嗜好なり、ものの考え方が分かるというかよく見えてきます。これも良くも悪くも、本作品の特徴ですね。

しかし記憶は残る。記憶は時間を温めることができる。そしてーもしうまくいけばということだがー芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる。
(「騎士団長殺し」第2部112Pからの引用)

正直言って、マンネリという批評もあるかと思いますが、私にとっては安心してこの小説世界に浸ることができました。一つだけ残念だと思ったのは主要な登場人物である免色(メンシキ)さんが、小説の後半になればなるほど、なんともステレオタイプというか平凡な感じになってしまっていることです。その結果、この小説の魅力というか深みを削いでしまっているような気がしてなりません。

とはいえ、今の日本で、これだけの小説、物語を書ける人は彼しかいないのも事実です。一応、熱心な一読者としては、これからもどんどん小説を書いてもらいたいと願うばかりです。

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村上春樹著「騎士団長殺し(第1部・第2部)」(新潮社)


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通勤電車の中で「ヴァルザーの詩と小品」を読み終えました。 [本を読んでいる]

先日、通勤電車の中で、スイスの作家であるロベルト・ヴァルザー(Robert Walser 1878~1956年)の作品を集めた「ヴァルザーの詩と小品」を読み終えました。この本は、

20世紀文学において特異な位置を占めるスイスの作家ヴァルザーは、ベンヤミンが、ブランショが高く評価しながらも、再発見はカフカよりずっと遅れた。カフカの「天井桟敷で」のもとになった散文小品「喝采」をはじめ、兄カールの挿絵全点を収めた『詩篇』の全訳、やはりカールのおそろしく現代的な絵に付された小品などの初訳を含む、ベスト版一巻選集。(以上、「みすず書房」HP 本書紹介文からの引用です)

とのことです。

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「ヴァルザーの詩と小品」(みすず書房)。また本書に収められている兄のカール・ヴァルザーによる挿絵はとても魅力的なものです。

ロベルト・オットー・ヴァルザーはスイスのベルン州ビールに生まれる。兄5人、姉1人、妹1人という子沢山の家庭で、兄の1人カールは後に画家として成功し、弟ロベルトの著作にも挿絵を寄せている。学費が続かなかったことから中学を中退し、銀行員や保険会社に勤めた後に詩作品の発表を始め、リヒャルト・デーメルやヴェーデキントらと交友を持った。作品の大部分は小説とも随筆とも言い難い散文小品(Prosastück)からなり、屋外の情景や日々の物思いを綴り新聞や雑誌に掲載されたのち、幾つもの本にまとめられた。5歳年少のフランツ・カフカは彼の愛読者の1人であった。晩年は幻聴を聴くようになるなど精神を病み、スイスの療養所で20年以上作品を発表することなく暮らしていた。病院の近くの雪山を散策中、心臓発作を起こして急死。(以上「Wikipedia」ロベルト・ヴァルザーの解説文からの引用。一部省略しています)

私は最近、アメリカの作家、レナード・ハント(Laird Hunt 1968年~)の小説を読み、その際に訳者の柴田元幸氏が、レナード・ハントはドイツの作家であるW.G.ゼーバルト(W・G・Sebald 1944~2001年)の影響を強く受けていると紹介していたことから、ゼーバルトのことを何となくネットで調べていたところ、今度はゼーバルトがロベルト・ヴァルザーの熱心な読者であることを知って興味を持ち、本書を図書館から借りてきたものです。結果的にレナード・ハント、W.G.ゼーバルト、ロベルト・ヴァルザーという、国を跨いだ三人の作家の文学的なつながり、関係性を追っていったということになります。

ロベルト・ヴァルザーの本の印象を一言でいえば、「後期ロマン派作家の魂の漂泊」ともいうべきもので、まさしくそれは「孤独な散歩者の夢想」です。書かれている内容は、とても繊細かつロマンティックでありながら、その裏に一ひねりした、屈折した作者の心情がみてとれます、それは「自己」への憐憫と卑下であり、また、彼の作品には、彼が創作した時代、すなわち大戦前のヨーロッパ、の雰囲気、情緒を強く感じることができます。

「魂の漂泊」は、この時代の芸術家の個性というか特徴ではないかと感じます。ゼーバルトが惹かれたのもまさしくこれではないかと思います。作家とはじめ、芸術家は魂が無垢であればあるこそ、漂泊するのでしょう。ロベルト・ヴァルザーの作品を読んでいると、彼の無垢さと感受性の豊かさを感じます。

私は今回、初めてロベルト・ヴァルザーを知りました。こんな素晴らしい作家のことを、これまで知らなかったなんてと自身の無知を恥じた次第です。これから、またチャンスを見つけて、今度は彼の小説(集英社の「世界文学全集 ベラージュ74」と鳥影社「ローベルト・ヴァルザー作品集3」に所収されている「ヤーコプ・フォン・グンテン」)を読んでみたいと思います。今回、とても充実した読書体験を得ることができました。うまく説明できないのですが、この本は私になにか、とても大きな影響を与えたような気がしてなりません。

ちなみに、私が以前、レナード・ハントとゼーバルトの本について書いた記事はこちらです。もし、良かったら読んでみて下さい。

「実家からの帰りの機内でレアード・ハントの「インディアナ、インディアナ」を読み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-05-30
「会社へ向かう通勤電車の中で、レアード・ハントの「優しい鬼」を読み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-04-25
「W.G.ゼーバルトの「アウステルリッツ」を読み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2014-05-20

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こちらは兄カール・ヴァルザーの書いた油絵。ちなみに彼は1908年にドイツ人作家ベルンハルト・ケラーマンと日本を訪れ、何枚かの絵を遺しています。


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行きつけのジャズ喫茶店で、先崎綜一著「フクシノヒト こちら福祉課保護係」を読み終えました [本を読んでいる]

昨夜、一人で訪れた蒲田のジャズ喫茶店(「直立猿人」)で、先崎綜一著「フクシノヒト こちら福祉課保護係」を読み終えました。この小説は、

ごくフツーに大学を卒業し、ひたすら安定を求めて役所に就職した堺勇治。ところが、配属先は誰もが敬遠する福祉課保護係だった。病気や高齢、障害といった様々な境遇に苦しみ、時には亡くなっていく生活保護受給者の姿にショックを受ける。そして、社会が抱える矛盾や自分の無力さに苦悩する日々…。そんな堺を支えたのは個性豊かな保護係の先輩たちだった。がむしゃらに邁進する若者の成長を描いた“社会派コミカル青春小説”。(以上「「BOOK」データベース」からの引用)

といったもので、扱っているテーマは重いものの、どちらかと言えば軽く読める「教養小説」といった感じで、私は興味深く読みました。こうした「主人公がその時代環境のなかで種々の体験を重ねながら,人間としての調和的自己形成を目指して成長発展していく過程に力点をおいた小説」(以上、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」における「教養小説」の解説からの引用)って、最近はなかなか見ないような気がします。ちなみに、私にとって、思い出に残っている「教養小説」といえば、トーマス・マンの「魔の山」であり、下村湖人の「次郎物語」だったりします。そういう意味では久しぶりにこうした本に接し、新鮮でしたし、共感を持ちました。私のような中年男よりも、もっともっと若い人、中学生とか高校生に読んでもらいたいと思った小説でした。

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先崎綜一著「フクシノヒト こちら福祉課保護係」(文芸社文庫)


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実家からの帰りの機内でレアード・ハントの「インディアナ、インディアナ」を読み終えました [本を読んでいる]

今週の月曜日、九州の実家からの帰りの機内でレアード・ハント(Laird Hunt 1968年~)の「インディアナ、インディアナ」(原題:Indiana,Indiana)を読み終えました。私にとってレアード・ハントを読むのは二冊目となります(前回「優しい鬼」を読んだ時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-04-25。この作品は、

アメリカ文学最大の人気翻訳家・柴田元幸氏が「これだ」と惚れ込み、ポール・オースター氏が「ずば抜けた才能」と絶賛した本邦初翻訳小説。年老いて病んだひとりの男の人生の、深い喪失感と淡いユーモアがかぎりなく美しい小説。(以上、「Amazon」の商品の説明、「内容紹介」の引用です)

とのことですが、前回読んだ「優しい鬼」と同様、素晴らしい小説だと感じ入りました。とはいえ内容はただ、ひたすらに哀しく切ない物語でして、読む人をとても繊細で内省的な気持ちにさせてくれます。本書の「訳者あとがき」において柴田元幸氏はこの小説のことを「叙情的で、きめ細やかで、幻想性もごく自然に取り込み、意外なところにユーモアが顔を出す、その美しさ」(以上、本書「訳者あとがき」からの引用です)と表現していますが、「意外なところにユーモアが顔を出す」ところは良く分からなかったものの(これは多分、私の読解力不足によるものです)、それ以外の形容はその通りで、とても美しい作品であることは間違いありません。これまで小説を読んで「美しさ」を感じたことは、実はそう多くはなかったような気がします。これこそ、彼ならではの才能ということなのでしょう。

現時点でレアード・ハントの邦訳はこの二冊だけですが、今後、彼の邦訳が出次第、読んでみたいと思います。いや、いつか、思い切って原書にトライしてみたいですね。とても素晴らしい読書体験を得ることができました。

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レアード・ハント「インディアナ、インディアナ」(朝日新聞社)


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会社へ向かう通勤電車の中で、レアード・ハントの「優しい鬼」を読み終えました [本を読んでいる]

今日の朝、会社へ向かう通勤電車の中でアメリカ人作家であるレアード・ハント(Laird Hunt 1968年~)の「優しい鬼」(原題:Kind One)を読み終えました。この本は何気なくネットで見つけて、ものは試しと図書館から借りて読んでみたのですが、とても幻想的で素晴らしい小説だと感じ入りました。

ポール・オースターが絶賛した『インディアナ、インディアナ』(朝日新聞出版、2006)につづく、柴田元幸が翻訳を熱望するレアード・ハントの長編翻訳第二弾。
南北戦争以前、ケンタッキーの山の中に住む、横暴な男。そこに騙されて連れてこられた一人の女性が二人の奴隷娘たちと暮らし始めると……。
雲の女王になった話、黒い樹の皮の話、濡れたパイだねの話、タマネギの話など、密度の濃い語りですすむ、優しくて残酷で詩的で容赦のない小説。
(以上「Amazon 商品の説明」からの引用です)

この小説は人間としての生きる勇気のようなものを強く感じさせるもので、アメリカ文学としての魅力に満ちた現代の小説だと思いました。「訳者あとがき」の中で柴田元幸氏がレアード・ハントについて、ゼーバルト(W・G・Sebald 1944~2001年)の影響を強く受けていると紹介していたのがとても興味深かったです。このドイツ人小説家の作品のうち、「アウステルリッツ」については以前、読んだことがあり(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2014-05-20、その「語り」の魅力に引き込まれた記憶があります。「優しい鬼」においてもとても魅力的な、寓話的で幻想的な話がいくつも挿入されていて、この作品の価値を一層高めています。

さっそく、今度は彼の前作となる「インディアナ、インディアナ」も読んでみようと、インターネットで図書館の貸出予約をしたところです。今回、一つだけ残念だったのは読み急いだせいか、私の頭の中で話がこんがらがってしまったことですね。慌てて読み返してみたのですが、この小説のすべてを完璧に把握、理解したのかと問われれば未だ、少々疑問が残ります。これは、恥ずかしながら私の読解力の不足によるものなのですが、今度読む「インディアナ、インディアナ」については、こうしたことがないよう、腰を据えてじっくりと読んでみようと思った次第です。

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レアード・ハント「優しい鬼」(朝日新聞出版)。「訳者あとがき」によれば、作者のレアード・ハントは一時期、日本に住んでいて、主に熊谷に住み、国連の報道官を務めたり、なんとNOVAで英語教師をしていたことがあるという、なんとも親近感の湧く経歴の持ち主です。


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帰宅途中での電車の中で、スティーヴ・エリクソンの「きみを夢みて」を読み終えました [本を読んでいる]

昨夜、帰宅途中の電車の中でで、アメリカ、カリフォルニア州出身の小説家、スティーヴ・エリクソン(Steve Erickson 1950年~)の2012年の小説「きみを夢みて」(原題:These Dreams Of You)を読み終えました。

昨年12月に彼が2007年に発表した小説「ゼロヴィル」を読んだ(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-12-22後、まだ未読の彼の作品があることを知り、図書館に貸出予約をしていたのですが、今年4月にやっと借りることができ、早速読んでみたという訳です。前作ではスティーヴ・エリクソンの愛する映画がオマージュされていたのに対し、本作は彼の音楽への思い、考え方が色濃く反映された作品となっています。内容は

作家ザンと妻ヴィヴは、エチオピアの少女シバ(ゼマ)を養子にする。少女の母親を探す旅に出るヴィヴ。作家の自伝的体験、人種問題、アメリカの歴史が交錯し、「小説内小説」とポップ・ミュージックが絡む独自の世界が全開!
(以上、「BOOKデータベース」の内容紹介からの引用です)

とのことですが、私には現代アメリカにおける「家族」のありよう、あり方を追求した小説だと感じました。この小説では、60年代、70年代のポップミュージック(また、その時期の音楽は当時の「政治」とにかかわり合っていた点で「政治」のメタファーにもなっています)をベースにしながら三つの物語(そのうちの一つは主人公が執筆中の小説)が、アメリカ、イギリス(ロンドン)、ドイツ(ベルリン)、エチオピアを舞台に絡み合い、交錯しながら展開される内容で、一見複雑そうに見えますが、分かりやすく読みやすい小説でした。だた、過去のスティーヴ・エリクソンの作品と比べると、ちょっと、ごちゃごちゃした印象を受けます。その感じこそ、今の彼の、良い意味での、とてもポップな感性に因るものなのでしょう。非常に現代的な小説であるとの印象を得ました。

少々乱暴な意見ながらも、私はアメリカの小説(音楽も同様)を読んでいつも感じるのは、作品がとても乾燥していることです。この「乾燥(ドライ)」という言葉を、私は情緒的(ウェット)の反対の意で使っているのですが、作品上、登場人物の心の動きや内容をそのまま事細かに描写するよりも、あくまでも行動描写を通じて、そうした心の動きを表現しようとする傾向が強いような気がします。小説の中で、登場人物の行動と心の動きがダイレクトにシンクロしあっている感じと言えば良いのでしょうか?その部分が私にとってのアメリカの小説のダイナミックなところでもあり、分かりやすさでもあると共に、逆に、少々単純に見えて物足りなさを感じるところでもあります。これこそアメリカ人の国民性であり、日本人とは異なるところということなのかも知れません。

スティーヴ・エリクソンの最近の作品は、私にとっては、そうした傾向を感じさせるもので、彼はアメリカの作家なんだなあと、今回改めて思った次第です。

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スティーヴ・エリクソン「きみを夢みて」(ちくま文庫)


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行きつけのジャズ喫茶店で、スティーヴ・エリクソンの「ゼロヴィル」を読み終えました [本を読んでいる]

昨夜、一人で訪れた蒲田のジャズ喫茶店(「直立猿人」)で、アメリカ、カリフォルニア州出身の小説家、スティーヴ・エリクソン(Steve Erickson 1950年~)の2007年の小説「ゼロヴィル」(原題:Zeroville)を読み終えました。

スティーヴ・エリクソンは私にとって特別な作家です。確か10年ほど前、40代の初めに、ふとしたきっかけで彼の5作目となる小説「Xのアーチ」(原題:Arc d'X)を読み、その想像力溢れた幻視作家としての才能に、まさに驚嘆しました。それからは「彷徨う日々」(原題:Days Between Station)、「ルビコン・ビーチ」(原題:Rubicon Beach)、「黒い時計の旅」(原題:Tours of the Black Clock)等の小説、そしてアメリカ大統領選を取材した珍しいノンフィクションルポとなる「リープ・イヤー」(原題:Leap Year)を夢中になって片っぱしに読んだことは懐かしい思い出です。

ちょうど一年前の12月にニューヨーク・ロサンジェルス出張の際に、ニューヨークの本屋でこの「ゼロヴィル」の原書は購入していた(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-01-28のですが、そのまま部屋に積んだままとなっていました。今回、柴田元幸氏の訳による翻訳本が出ている事を知り、慌てて図書館で貸出予約をして、なんとかこうして読むことができたという次第です。

この「ゼロヴィル」という小説は、

「映画自閉症」の青年ヴィカーは、映画『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーを、自分のスキンヘッドに刺青している。フィルム編集の才能が買われ、ハリウッドで監督作品を撮ることになるが…。『裁かるゝジャンヌ』、『めまい』、『ロング・グッドバイ』…映画と現実が錯綜する傑作長篇!(以上「「BOOK」データベース」からの引用)

とのことで、「ラテンアメリカ文学の影響も感じさせる文体を持つ「幻視の作家」として知られ、その作風は縦横無尽に展開される想像力による幻想的な光景の描写、歴史の再構築、黙示録的なイメージの提示などによって特徴付けられる」(以上、Wikipediaの「スティーヴ・エリクソン」の解説文からの引用)スティーヴ・エリクソンの、ポップともいうべき新境地を強く印象付ける小説となっています。読みやすく、またとても面白かったというのが最初の読後感でした。そして、この「映画小説」ともいうべき「ゼロヴィル」は、2015年にアメリカで映画化されています。まさしくメタ化とでもいうべき現象ですが、是非、この映画も観てみたいものです。

ここのところ、あまり本を読んでいなかったのですが、今回、素晴らしい読書体験を得、やはり小説は良いなあと再確認したところです。調べてみると、未読である、彼の最新作となる「きみを夢みて」(原題:These Dreams Of You)も既に邦訳が文庫化されていますね。今度はどんな世界を見せてくれるのでしょうか?今から、読むのが本当に楽しみでなりません。

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写真はスティーヴ・エリクソン「ゼロヴィル」(白水社)


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古本で「ピエール・エルメのお菓子の世界」を入手しました [本を読んでいる]

先日、横浜、関内の古本屋で「ピエール・エルメのお菓子の世界」(1999年、柴田書店)を入手しました。この本は

名店フォションのパティシエを10年間つとめた著者が創造したこだわりのお菓子のレシピを美しい写真とともに紹介。(以上「MARC」データベースからの引用です)

したもので、レシピ本というより、美しいお菓子の写真集といった趣きの本です。実は20年ほど前に家族でドイツに赴任していた時、ベルギーで(この本の)原書を購入、「パティスリー界のピカソ」とも評されるピエール・エルメ(Pierre Hermé 1961年~)のレシピ集ということで、家内は自分の部屋の本棚に大切に保管していました。ただ、この本の難点は、(当たり前といえばそれまでなのですが)レシピも全てフランス語で書かれていることで、家内はフランス語はある程度は解るものの、それでもさすがに(一部の材料名等が分からず)難しいと、こぼしていました。

ところがこの間、偶然、関内の古本屋(TSUTAYA)で、この本の邦訳版が売られているのを発見、家内に訊いてみたところ、是非欲しいというので、今回、慌てて入手したという訳です。邦訳版は原書と比べると、ふたまわり程、小ぶりの本ですが、内容は一緒です。これで家内も安心して、この本のレシピによるお菓子作りにトライ出来るかと思います。

多分、いつか、これらのレシピブックも娘達が受け継いでいくのでしょう。


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写真は「ピエールエルメのお菓子の世界」(1999年、柴田書店)


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水木しげる著「のんのんばあとオレ」を読了しました [本を読んでいる]

先週なかばに、水木しげる著「のんのんばあとオレ」を読了しました。この本も前の記事で紹介した朽木祥著「八月の光・あとかた」と同様、毎週日曜日(10:00~10:30)にFM TOKYOで放送されている、作家の小川洋子さんが文学作品の名作の解説を通じて作品の素晴らしさ、文学の楽しみ方を伝える番組である「Panasonic Melodious Library」で紹介されていたものです。とても面白そうだったので、図書館から借りてきました。内容は、

授業中は居眠りばかり、休み時間には活躍しすぎて立たされたり、家へ帰れば、ガキ大将めざす攻防戦に大いそがし―。学校の成績こそひどいものだったが、彼の心は上の空。「のんのんばあ」といっしょに、お化けや妖怪などの住む目に見えない世界をさまよっていた。少年時代をたっぷり味わいつくして悔いのない、漫画家・水木しげるのおかしなおかしな少年記。
(以上、Amazon.co.jp「商品の説明」 内容 (「BOOK」データベースより)」からの引用)

というもので、とても面白く、共感と懐かしさを覚えながら読みました。水木さんが如何に少年の心を持ち続けていたのかが良くわかります。私は現在、50代半ばですが、私の少年時代、昭和40年代でも、まだ、本書に書かれているような、街の気分というか雰囲気といったものはありました。

読んでいる間、そうしたものも、いつの間にか失われてしまったなぁ・・・などと、暢気に思っていたのですが、本書を読んだ後、環境が変ったのではなく、実は私自身こそが、いつの間にかそうした少年の心を失ってしまっていたことに気づきました。

何とも情けないというか、切ないというか、複雑な気分です。

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写真は水木しげる著「のんのんばあとオレ」(ちくま文庫)


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朽木祥著「八月の光・あとかた」を読了しました [本を読んでいる]

先週末に朽木祥著「八月の光・あとかた」を読了しました。この本は、毎週日曜日(10:00~10:30)にFM TOKYOで放送されている、作家の小川洋子さんが文学作品の名作の解説を通じて作品の素晴らしさ、文学の楽しみ方を伝える番組である「Panasonic Melodious Library」で、本作を紹介・解説しているのを聴き、図書館から借りてきたものです。

巻頭の『雛の顔』は、その日勤労奉仕をさぼって命拾いをした女性と、それを責めた女性、それぞれの心の変化とその後の人生が、続く『石の記憶』では、広島平和記念資料館に展示され、原爆の悲惨さを伝える「白い石段の影」にまつわる物語が描かれます。『水の緘黙』では、苦しむ人を助けられずに一人逃げた少年の自責の念が救われるまでの物語。『銀杏のお重』では、戦争で女性だけとなった家族が、戦争を、原爆をどう生き抜いたか。ときに悋気にもならざるを得なかった女性たちの悲しみと強さが描かれます。『三つ目の橋』は、原爆で父と弟を、そして原爆による放射能症によって母を失った姉妹の物語。「ピカに遭うたもんは、たとい生きても地獄じゃ」。本作品に出てくるこの一文が、生き残った人々のその後の苦しみを集約しています。 決して特別な人の特別な物語ではなく、私たちと同じ市井の人間の物語。あの日の光が、あの場所に生きた人々の魂の声が、いま再び届く――。
(以上、Amazon.co.jp 本書における「内容紹介」からの抜粋・引用です)

以前、記事でも書きましたが、私は今年の夏、広島に出張し、短い時間ではありましたが原爆ドームや平和記念公園を訪れ、 (恥ずかしながら)生まれて初めてヒロシマのことを考える機会を得ました(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-07-19)。それからもっと自分事としてヒロシマのことを考えたい、捉えなおしたいと思っていました。そして、それは本書に接したお陰で、少しではありますが果たせたのではないかと感じでいます。

(誤解を恐れずに言えば)この短編集に収められている作品はどれも、とても美しい物語です。主人公、そしてその家族たちの心根は、みなとても清らかなものです。それだけに原爆の非道さ、悲惨さ、といったものが、ひときわ際立っていて、読んでいて主人公たちに対する共感の思いを強くすることになりますし、読んでいて本当に心が痛みます。私にとっては、久々に出会った、素晴らしい日本文学作品でした。また日本人、広島の方でなければ書けない物語という意味でも、とても価値のある小説だと思います。慌てて、長女に「とても良かったら是非読んでみたら」と薦めた次第です。

今回、この記事を書くにあたり、他の、本書を紹介しているサイトも拝見したのですが、その中でひときわ素晴らしい書評に出会ったので紹介したいと思います。それは「児童文学書評 おいしい本箱 book cafe」というサイトで、「図書館の仕事をしているRIEとKIKOの二人組が運営している(主に児童書を中心とした)本の紹介サイトです」(「」内は「児童文学書評 おいしい本箱 book cafe」のHPからの引用、一部()文は加筆)とのことです。

『八月の光・あとかた』 朽木祥 小学館文庫 
http://oishiihonbako.jp/wordpress/%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%83%BB%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%9B%B8/1981/

私もいつか、このような素晴らしい書評を書けるようになりたいものです。是非、一度、読んでみて頂ければと思います。

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写真は朽木祥著「八月の光・あとかた」(小学館文庫)


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