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通勤電車内で甘耀明の「神秘列車」を飲み終えました [本を読んでいる]

先日、通勤電車内で甘耀明の「神秘列車」を飲み終えました。甘耀明(カン・ヤオミン Yao Ming Kan 1972年~)は台湾・苗栗県生まれ、客家出身の現代小説家です。以前 彼が2009年に発表した長編小説「鬼殺し」(原題「殺鬼」)を読み、その素晴らしさにすっかり魅了され(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-10-11、さっそく、日本で出版されているもう一冊の短編小説集である本書を読んでみたという訳です。

この作品集は、「「鬼殺し」の前後に書かれた短編を集めたもの」(訳者、白水紀子氏による「解説」から引用)で、2003年に台湾で刊行された同名の、11篇からなる短編集「神秘列車」(原題「神秘列車」)から「神秘列車」と「伯公、妾を娶る」の2篇、2010年に同じく台湾で刊行された「葬儀でのお話」(原題「喪禮上的故事」)からプロローグ及び最初の2話、そして2015年に刊行された長編小説「アミ族の娘」(原題「邦查女孩」)から独立した短編としても読める「鹿を殺す」が収録されています。
(この文章は同じく本書の訳者、白水紀子氏による「解説」を全面的に参考にし、一部引用しています)

これらの作品はいずれも同じ作者が書いたとは思えないほど、スタイル(作風)が異なるものながら、どれも作者の見事な文学的センスをひしひしと感じさせるものです。このうち「伯公、妾を娶る」については作品の舞台、登場人物等、「鬼殺し」との高い共通性が見られるもので、「葬儀でのお話」や「鹿を殺す」と同様、ポスト郷土文学作家と評される甘耀明の見事な才能の一端を感じられるものとなっています。

「神秘列車」は「祖父から少年へ、歴史記憶の継承というテーマを家族の愛の物語として描いた秀作」(訳者、白水紀子氏による「解説」から引用)で甘耀明の初期の代表作と評される、初々しさに溢れた作品で、なんとも清々しい読後感を得ることができました。

こうして彼の作品を読んでみると、その多様性に驚きながらも「家族」そして「歴史」がとても重要なキーワードであることに気づかされます。最新の長編である「アミ族の娘」の白水紀子氏による全訳が待たれます。アジアのガルシア・マルケス、ひいては将来のノーベル賞作家とも思われる彼の作品を私はこれからも続けて読んでみたいと切に思った次第です。

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甘耀明「神秘列車」(白水社エクス・リブリス)


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通勤電車の中で「小川未明童話集」を読み終えました。 [本を読んでいる]

少し前の話になってしまって恐縮ですが、先週、「小川未明童話集」(新潮文庫)を読み終えました。私が読んだ本は先々週の週末に、自宅近くの古本屋さんで店先の棚に百円で投げ売りされていたものです。ちょうど、甘耀明の「鬼殺し」(上・下巻)を飲み終えたばかりで(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-10-11、その影響もあってか、何となく日本の民話を読みたい気分になっていたことと、幼いころに「赤いろうそくと人魚」を読んで、とても印象深かった思い出があるにもかかわらず、あらすじをすっかり忘れていることに気付いたことが手に取るきっかけとなりました。

少し、話題は逸れますがこの古本屋さん(「Tweed Books」)は、2015年の夏に開店したばかりという、国内外の文学書、哲学書、芸術書、音楽やファッション関係の書籍が特に充実した、とてもおしゃれで品の良い雰囲気の、私のお気に入りのお店です。ただ、私は経済的な理由及び所蔵スペースの問題から、いつもは図書館で本を借りて読むようにしているので、なかなか本を買う事はありません。応援したいと思いながらも、行っては眺めるだけで、いつも申し訳ない気がしていました。そんな中、今回は文庫本でかつ百円だったので、つい買ってみたという次第です。

小川未明の童話を読むのは、それこそ50年ぶり近くになるのではないでしょうか?読んで、最初に感じたことは、なんて美しい日本語の文章なんだろうという感嘆でした。私は、それこそ一気に読み、そしてすぐにもう一度読み返したいと思いました。どのお話も単純なハッピーエンドではなく、含蓄があり、読後に深い余韻を残すものばかりです。これは宮沢賢治と同様、大人こそが味わうべき童話です。本当に素敵な読書体験を得ることができました。

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「小川未明童話集」(新潮文庫)。私が入手したのは表示されている定価も100円の、とても古い本でした。


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新聞夕刊のコラムを読んで、とても感心しました [本を読んでいる]

私は日本経済新聞の夕刊(一面)に掲載されている「あすへの話題」を読むのを楽しみにしているのですが、10月7日の龍谷大学農学部教授 伏木 亨(ふしき とおる 1953年~)氏のコラム(「老人を育てる」)には、(内容の面白さに思わず笑ってしまいながらも)とても感心しました。本当は全文を紹介したいところですが、一部だけ紹介しますと、

反応の鈍さと判断の遅さは老人の武器である。反応の鈍さをひとは重厚と感じる。決断の遅さは深い思慮を漂わせる。(以上、日本経済新聞2017年10月7日夕刊「あすへの話題」からの引用)

といった具合で、自らを老人として自覚した上での、自戒を込めた、示唆とユーモアに溢れた文章には、思わず瞠目した次第です。こんな見事な文章を書く伏木氏は、さぞかし魅力的な方なんだろうなあと思います。食品化学者としての著作も沢山あるようなので、今度、読んでみようと思った次第です。

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こちらがその記事。

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伏木 亨「コクと旨味の秘密」(新潮新書)。面白そうだったので、先ほど図書館の貸出予約をした所です。

(2017年10月17日追記)
さっそく、図書館から伏木 亨著「コクと旨味の秘密」(新潮新書)を借りて読んだのですが、科学的なアプローチで「コク」とは何かということを易しく解説した良書でして、久々に知的好奇心が刺激され、とても楽しい読書体験を得ることができました。食品科学者としての単なる科学的分析に留まらず、文化論にまで展開されているところが素晴らしいです。新書で、とても読みやすいことも特筆すべき事ですね。これからも機会を見つけて伏木氏の他の著作を読んでみようと思いました。


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週末、日曜日の朝に自宅で甘耀明の「鬼殺し」を飲み終えました [本を読んでいる]

先週末の三連休の日曜日の朝、自宅で甘耀明の「鬼殺し(上・下巻)」(原題「殺鬼」)を飲み終えました。甘耀明(カン・ヤオミン Yao Ming Kan 1972年~)は台湾・苗栗県生まれ、客家出身の作家で、私にとっては呉明益の「歩道橋の魔術師」(原題「天橋上的魔術師」)に続く(この作品を読んだ時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-07-04、台湾の現代小説家による作品となります。この作品は、

「鬼殺し」は、一九四一年十二月の太平洋戦争勃発から一九四七年の二・二八事件までを背景に、日本統治時期から戦後に至る台湾の複雑な歴史に翻弄されながらも、たくましく生き抜いた客家の少年とその祖父の物語である。
「鬼殺し」はマジックリアリズムの手法を用い、台湾の歴史と民衆の歴史記憶とを甘耀明の豊かな想像力で融合させた密度の高い物語である。
(以上「鬼殺し」下巻、訳者白水紀子の「解説」冒頭文からの引用)

でして、まさしく、東南アジアのガルシア・マルケスとも言えるような濃密な小説世界に魅了されました。ご存じのようにマジックリアリズム(魔術的現実主義)とは、

日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法で、主に小説や美術に見られる。幻想的リアリズムと呼ばれることもある。ジークムント・フロイトの精神分析や無意識とは関わらず、伝承や神話、非合理などといったあくまで非現実的なものとの融合を取っている手法である。
(以上「Wikipedia」の「マジックリアリズム」解説文からの引用)

で、読み手にとっては想像力をかきたてられ、読書の楽しみを存分に味わうことができる優れた小説技法かと思います。イタリアのイタロ・カルヴィーノ、ポルトガルのジョゼ・サラマーゴ、モロッコのタハール・ベン=ジェルーン、そしてアルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘス、コロンビアのガルシア・マルケスといったように私の大好きな作家はマジックリアリズム作家が特に多いです。この甘耀明の作品においても鬼と人間との関係を中心に、日本人、華人、台湾の原住民の歴史、言語、風俗、宗教が絡み合いながら、独特かつ見事な小説世界が作りあげられています。また一方で、この台湾に生まれた客家の一少年のアイデンティティーの確立、成長の物語でもあり、教養小説の趣きもそなえています。上下巻にわたる長編小説なのですが、私は飽くことなく、一気に読みました。まさしく骨太という言葉がぴったりの、見事な小説でした。台湾には多くの素晴らしい作家がいるのですね。もし、まだ読んでいらっしゃらないようでしたら、是非一度手にとってみてください。読みだしたとたん、頁をめくる手を止めることはもうできませんよ。

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甘耀明「鬼殺し(上・下巻)」(白水社エクス・リブリス)。それにしても作者の「日本」に対する知識の深さには驚嘆させられます。尚、本記事に出てくる漢民族の一派である「客家(はっか)」について興味のある方はWikipediaの以下の項目
「客家」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
「客家人の一覧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
等を参照下さい。
また、私は以前、マレーシアに出張した時に、客家料理を食べたことがあります。その時の記事は以下となります。
http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-10-01


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先週の金曜日にアンソニー・ドーアの「すべての見えない光」を読み終えました [本を読んでいる]

先週の金曜日に、アメリカ、オハイオ州出身の小説家、アンソニー・ドーア(Anthony Doerr 1973年~)が2014年に発表した小説「すべての見えない光」(原題「All the Light We Cannot See」)を読み終えました。この小説は

ラジオから聞こえる懐かしい声が、若いドイツ兵と盲目の少女の心をつなぐ。ピュリツァー賞受賞作。孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド――。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描く感動巨篇。(以上Amazon.co.jp「内容紹介」からの引用)

というものです。

これは見事な小説です。第二次世界大戦時代のヨーロッパを舞台に、孤児院の幼い兄妹が偶然捉えたフランスからの謎の短波ラジオ放送、フランスの博物館に眠る伝説の宝石、主人公の友人が愛する鳥の図鑑といった様々な伏線が絡まりながら、物語は語られていきます。ラストに向けてそれらが収斂していく様は、本当に驚くべきほどで、この小説家の素晴らしい力量を実感することとなったのですが、気になったのは、余りにもまとまりすぎているというか見事すぎて、逆に小説が本来の持つパッションというか、根源的な力を削ぐ結果になっているような感じがしたことです。多分、二人の主人公の十代のころがメインとなっていること(ある意味、それはとてもステレオタイプな印象を与えます)も関係しているのでしょう。とても意地悪な言い方をすれば、この小説は余りにもテクニックというか、技法が素晴らしすぎるのです。

とはいえ、私はこの本を、それこそ夢中になって読みました。テーマがテーマだけに、以前、ジョナサン・リテル(Jonathan Littell, 1967年~ )の「慈しみの女神たち」を読んだ時のような(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2012-08-27圧倒的な読後感を期待した私が余りにもあまのじゃくなのでしょう。この本は、ほんのちょっとだけ私の好みではなかったというだけのことかと思います(実際、Amazonのレビューではほぼ全て絶賛の嵐です)。ごめんなさい。これは私自身の個人的な感想です。あまり参考になさらないで下さいね。

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アンソニー・ドーア「すべての見えない光」(新潮クエスト・ブックス)


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昔、読んだ本の中で特に印象に残っている表紙や挿絵について [本を読んでいる]

前の記事で、エドワード・ケアリーの「堆塵館」を読み、著者自身が書いた表紙のイラスト・挿絵がとても印象的だったことを書きましたが、私がこれまで読んだ本の中で特に印象に残っている本の表紙、挿絵といえば、何と言っても創元SF文庫のエドガー・ライス・バローズ(Edgar Rice Burroughs 1875~1950年)の「火星のプリンセス」に始まる火星シリーズやポプラ社の江戸川乱歩(1894年~1965年)「少年探偵」シリーズにおける武部本一郎氏(1914~1980年)によるものです。

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こちらは創元SF文庫「火星のプリンセス」表紙

私が「火星のプリンセス」シリーズを読んだのは確か中学生のときだった(比較的遅くになって、私はこの本を読みました)かと思うのですが、表紙そして挿絵に描かれた火星の美女たちの色気には、少年ながらにも本当にドキドキしたものです(遠い目)。特に表紙に描かれた火星の絶世の美女デジャー・ソリスには心を奪われました。私の理想の女性像はほぼ、この物語とイラストで形成されたといっても過言ではありません。

他に忘れられない本の表紙、挿絵といえば、同じく創元SF文庫のエドワード・エルマー・スミス(Edward Elmer Smith 1890~1965年)の「銀河パトロール隊」から始まるレンズマン・シリーズ、そして、こちらはたしか新潮文庫だったかと思うのですが、星新一(1926~1997年)のショートショート作品集における真鍋博氏(1932~2000)のものが挙げられます。どちらも小学生高学年の時に読んだのですが、これらのイラスト、挿絵の独特の軽妙さと未来性には魅了されました。

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そしてこちらは同じく創元SF文庫レンズマンシリーズ③「第二段階レンズマン」の表紙です。

「火星シリーズ」「レンズマン・シリーズ」共に、スペースオペラ(注)の不朽の名作ですね。少年時代に、こうした作品を夢中になって読み、そして、これらの素晴らしいイラストと挿絵に触れることができたことは、私にとって、とても大切な思い出の一つです。

(注)サイエンス・フィクション (SF)のサブジャンルの一つ。主に(あるいは全体が)宇宙空間で繰り広げられる騎士道物語的な宇宙活劇(以上Wikipedia「スペースオペラ」の解説文からの引用)


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エドワード・ケアリーの「堆塵館」を読み終えました [本を読んでいる]

先週、昼休み中の会社の執務室で、エドワード・ケアリー(Edward Carey 1970年~)の「堆塵館」(原題「HEAP HOUSE」)を読み終えました。これはアイアマンガー三部作の第一部にあたり、

十九世紀後半、ロンドンの外れに巨大なごみ捨て場があった。幾重にも重なる山のその中心には『堆塵館』という、ロンドンの不用なごみの寄せ集めでできた巨大な屋敷があり、ごみから財を築いたアイアマンガー一族が住んでいた。一族の者は、生まれると必ず「誕生の品」を与えられ、その品を一生涯肌身離さず持っていなければならなかった。十五歳のクロッド・アイアマンガーは誕生の品の声を聞くことができる一風変わった少年だった。
一方、十六歳の孤児のルーシー・ペナントは、召使いとして堆塵館に入り、館の風変わりな伝統と習慣を教えられ、暖炉掃除係として働くことになる。そしてある夜クロッドと出会ったことで、一族の運命が大きく変わっていく……。
(以上、「Amazon」の「内容紹介」からの引用です)

という、十代の少年少女向けに書かれた物語です。

この物語における、奇想天外な独特の世界観と不気味ともいえる登場人物の多彩さは、この本の最大の魅力となっています。また、著者自身が描いた、非常に味のある、一風変わったな表紙のイラストと挿絵はそうした魅力を更に際立たせています。この本(第一部)のラストは余りにも衝撃的というかびっくりするもので、その後の展開が本当に気になります。

今後、機会を見つけて、続編(「穢れの町」)も読んでみようと思います。ただ、これは小説(文学)というより、あくまでも物語でして、ストーリーが全てといった感じですね。その点で、私にとっては必読というより、むしろ余裕(時間)があるときに読むような本ということになりそうです。

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エドワード・ケアリー「堆塵館」(東京創元社)


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村上春樹著「騎士団長殺し(第1部・第2部)」を読み終えました [本を読んでいる]

今日のお昼休みに、遅ればせながら、村上春樹著「騎士団長殺し(第1部・第2部)」を読み終えました。この本は長女が買って、読みかけのままほったらかしになっていたので、ならばその隙にと(苦笑)先週の金曜日から読んでみたものです。村上春樹さんの小説は私にとって読みやすいもので、今回もつまることもなく、すんなりと読み終えることができました。

内容はいつもの村上春樹ワールドとでも言うべきものです。彼の小説はいつも、どこか現実離れしたものなのですが、だからと言ってとっつきにくいものではありません。本作は私にとってはセックス(性交)を強くイメージさせるものでした。第2部の後半あたりはほぼ、そうした描写ともいうべきような記述が続きます。

一体、この小説が何を語っているのは、私にはよく分からないながらも(泣)、やはり自己再生の物語ということかと思います。主要な複数の登場人物が古典西欧音楽を好んで聴く設定であることから、クラシック音楽関係のの文章が特に多いことも、この小説の特徴です。そうして点を含めて、読みながら、その背後にある作者の嗜好なり、ものの考え方が分かるというかよく見えてきます。これも良くも悪くも、本作品の特徴ですね。

しかし記憶は残る。記憶は時間を温めることができる。そしてーもしうまくいけばということだがー芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる。
(「騎士団長殺し」第2部112Pからの引用)

正直言って、マンネリという批評もあるかと思いますが、私にとっては安心してこの小説世界に浸ることができました。一つだけ残念だと思ったのは主要な登場人物である免色(メンシキ)さんが、小説の後半になればなるほど、なんともステレオタイプというか平凡な感じになってしまっていることです。その結果、この小説の魅力というか深みを削いでしまっているような気がしてなりません。

とはいえ、今の日本で、これだけの小説、物語を書ける人は彼しかいないのも事実です。一応、熱心な一読者としては、これからもどんどん小説を書いてもらいたいと願うばかりです。

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村上春樹著「騎士団長殺し(第1部・第2部)」(新潮社)


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通勤電車の中で「ヴァルザーの詩と小品」を読み終えました。 [本を読んでいる]

先日、通勤電車の中で、スイスの作家であるロベルト・ヴァルザー(Robert Walser 1878~1956年)の作品を集めた「ヴァルザーの詩と小品」を読み終えました。この本は、

20世紀文学において特異な位置を占めるスイスの作家ヴァルザーは、ベンヤミンが、ブランショが高く評価しながらも、再発見はカフカよりずっと遅れた。カフカの「天井桟敷で」のもとになった散文小品「喝采」をはじめ、兄カールの挿絵全点を収めた『詩篇』の全訳、やはりカールのおそろしく現代的な絵に付された小品などの初訳を含む、ベスト版一巻選集。(以上、「みすず書房」HP 本書紹介文からの引用です)

とのことです。

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「ヴァルザーの詩と小品」(みすず書房)。また本書に収められている兄のカール・ヴァルザーによる挿絵はとても魅力的なものです。

ロベルト・オットー・ヴァルザーはスイスのベルン州ビールに生まれる。兄5人、姉1人、妹1人という子沢山の家庭で、兄の1人カールは後に画家として成功し、弟ロベルトの著作にも挿絵を寄せている。学費が続かなかったことから中学を中退し、銀行員や保険会社に勤めた後に詩作品の発表を始め、リヒャルト・デーメルやヴェーデキントらと交友を持った。作品の大部分は小説とも随筆とも言い難い散文小品(Prosastück)からなり、屋外の情景や日々の物思いを綴り新聞や雑誌に掲載されたのち、幾つもの本にまとめられた。5歳年少のフランツ・カフカは彼の愛読者の1人であった。晩年は幻聴を聴くようになるなど精神を病み、スイスの療養所で20年以上作品を発表することなく暮らしていた。病院の近くの雪山を散策中、心臓発作を起こして急死。(以上「Wikipedia」ロベルト・ヴァルザーの解説文からの引用。一部省略しています)

私は最近、アメリカの作家、レナード・ハント(Laird Hunt 1968年~)の小説を読み、その際に訳者の柴田元幸氏が、レナード・ハントはドイツの作家であるW.G.ゼーバルト(W・G・Sebald 1944~2001年)の影響を強く受けていると紹介していたことから、ゼーバルトのことを何となくネットで調べていたところ、今度はゼーバルトがロベルト・ヴァルザーの熱心な読者であることを知って興味を持ち、本書を図書館から借りてきたものです。結果的にレナード・ハント、W.G.ゼーバルト、ロベルト・ヴァルザーという、国を跨いだ三人の作家の文学的なつながり、関係性を追っていったということになります。

ロベルト・ヴァルザーの本の印象を一言でいえば、「後期ロマン派作家の魂の漂泊」ともいうべきもので、まさしくそれは「孤独な散歩者の夢想」です。書かれている内容は、とても繊細かつロマンティックでありながら、その裏に一ひねりした、屈折した作者の心情がみてとれます、それは「自己」への憐憫と卑下であり、また、彼の作品には、彼が創作した時代、すなわち大戦前のヨーロッパ、の雰囲気、情緒を強く感じることができます。

「魂の漂泊」は、この時代の芸術家の個性というか特徴ではないかと感じます。ゼーバルトが惹かれたのもまさしくこれではないかと思います。作家とはじめ、芸術家は魂が無垢であればあるこそ、漂泊するのでしょう。ロベルト・ヴァルザーの作品を読んでいると、彼の無垢さと感受性の豊かさを感じます。

私は今回、初めてロベルト・ヴァルザーを知りました。こんな素晴らしい作家のことを、これまで知らなかったなんてと自身の無知を恥じた次第です。これから、またチャンスを見つけて、今度は彼の小説(集英社の「世界文学全集 ベラージュ74」と鳥影社「ローベルト・ヴァルザー作品集3」に所収されている「ヤーコプ・フォン・グンテン」)を読んでみたいと思います。今回、とても充実した読書体験を得ることができました。うまく説明できないのですが、この本は私になにか、とても大きな影響を与えたような気がしてなりません。

ちなみに、私が以前、レナード・ハントとゼーバルトの本について書いた記事はこちらです。もし、良かったら読んでみて下さい。

「実家からの帰りの機内でレアード・ハントの「インディアナ、インディアナ」を読み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-05-30
「会社へ向かう通勤電車の中で、レアード・ハントの「優しい鬼」を読み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-04-25
「W.G.ゼーバルトの「アウステルリッツ」を読み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2014-05-20

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こちらは兄カール・ヴァルザーの書いた油絵。ちなみに彼は1908年にドイツ人作家ベルンハルト・ケラーマンと日本を訪れ、何枚かの絵を遺しています。


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行きつけのジャズ喫茶店で、先崎綜一著「フクシノヒト こちら福祉課保護係」を読み終えました [本を読んでいる]

昨夜、一人で訪れた蒲田のジャズ喫茶店(「直立猿人」)で、先崎綜一著「フクシノヒト こちら福祉課保護係」を読み終えました。この小説は、

ごくフツーに大学を卒業し、ひたすら安定を求めて役所に就職した堺勇治。ところが、配属先は誰もが敬遠する福祉課保護係だった。病気や高齢、障害といった様々な境遇に苦しみ、時には亡くなっていく生活保護受給者の姿にショックを受ける。そして、社会が抱える矛盾や自分の無力さに苦悩する日々…。そんな堺を支えたのは個性豊かな保護係の先輩たちだった。がむしゃらに邁進する若者の成長を描いた“社会派コミカル青春小説”。(以上「「BOOK」データベース」からの引用)

といったもので、扱っているテーマは重いものの、どちらかと言えば軽く読める「教養小説」といった感じで、私は興味深く読みました。こうした「主人公がその時代環境のなかで種々の体験を重ねながら,人間としての調和的自己形成を目指して成長発展していく過程に力点をおいた小説」(以上、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」における「教養小説」の解説からの引用)って、最近はなかなか見ないような気がします。ちなみに、私にとって、思い出に残っている「教養小説」といえば、トーマス・マンの「魔の山」であり、下村湖人の「次郎物語」だったりします。そういう意味では久しぶりにこうした本に接し、新鮮でしたし、共感を持ちました。私のような中年男よりも、もっともっと若い人、中学生とか高校生に読んでもらいたいと思った小説でした。

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先崎綜一著「フクシノヒト こちら福祉課保護係」(文芸社文庫)。実は著者の先崎君は同じ大学のサークルの後輩でして、今回、文庫本での再刊にあたり、この本を私に送ってきてくれました。


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