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東京都美術館で開催されていた「ゴッホとゴーギャン展」を観に行きました [絵画を鑑賞している]

先週末の日曜日、家内と一緒に東京都美術館で開催されていた「ゴッホとゴーギャン展」を観に行きました。最終日ということもあってか、結構混んでいて20分待ちとの表示でしたが、比較的すんなりと入ることができました。

今回、家内が音声ガイドを借りるというので、私も久しぶりに音声ガイドを借りてみることにしました。どうも、(音声ガイドの件は)長女から薦められたとのことなのですが、「ゴッホとゴーギャン展」の音声ガイドナレーターは、私は知らないものの、とても有名な声優さん(小野大輔氏と杉田智和氏)とのことです。このうち、小野氏がゴッホ役、杉田氏がゴーギャン役を演じて、ゴッホとゴーギャンの手紙を引用しながら、案内するという趣向となっています。

さっそく聴きながら絵を鑑賞したのですが、確かに音声ガイドの声は良かったです(汗)。内容も鑑賞を妨げるものではなく、それなりに面白かったです。最近は展覧会も、来場者数を増やそうと、色々な試みを行っていますね。展示されている絵はそれほど多くはなく、中規模といった感じでしたが、展示されている絵の中に、ゴッホの「グラスに入れた花咲くアーモンドの枝」があり、興味深く鑑賞しました。私は、ゴッホがアーモンドの枝をモチーフにしたもう一枚の絵、「花咲くアーモンドの枝」に特別の想い(この「花咲くアーモンドの枝」について書いた記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2013-01-08があります。今回、前から観たいと思っていた「グラスに入れた花咲くアーモンドの枝」を観ることが出来たのは大きな収穫でした。

私と家内がこの展覧会に行ったことを知った長女も、後から追いかけて一人で観、また次女も友人の誕生日プレゼントを買いに銀座に出てきたので、この日の夕食は家族全員で、安くて美味しい、銀座の老舗の焼鳥&釜飯屋さん(「鳥ぎん」)でお腹一杯食べて、満ち足りた気分で横浜の自宅に帰りました。

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写真は東京都美術館「ゴッホとゴーギャン展」ポスター。


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母と一緒に、二階堂美術館の特別展「横山大観の世界」展を観ました [絵画を鑑賞している]

前の記事で九月下旬に、久しぶりに九州、大分の実家に帰省したことを書きましたが、ちょうど、実家近くの日出町の二階堂美術館において、特別展「二階堂コレクション 横山大観の世界」展が開催されていたので母と二人で観に行ってきました。

横山大観(1868~1958年)といえば、「近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した」(以上、Wikipedia「横山大観」の解説文からの引用)画家として、特に知られています。どの絵も、本当に見事としか言いようのない素晴らしさで、母と私は、これらの二階堂美術館の所有する、横山大観の62点に及ぶ日本画を十二分に堪能しました。

朦朧体は描線を用いず、はけを使って色面描写を行う技法ですが、当時の画壇からは大きな批判を浴びたとのことです。まさしく日本画における「印象派」活動とも言えるもので、「光」を如何に描くかという、日本画における風景描写の課題に対する大きな成果だと思います。この展覧会においても、その多くの作品において朦朧体が用いられており、その、光の変化の繊細かつ見事な描写には、ただただ感心するばかりでした。

横山大観といえば富士山が有名で、この展覧会でも何点が富士山の絵を観ることができましたが、私には余りにも神々しすぎて、近寄りがたい雰囲気を感じてしまいます。一方、柚子や花をモチーフにした日本画は、その美しさ、特に可憐さにおいて本当に素敵で、一幅、自宅に飾ればさぞかしと思わせるものでした。歳をとるにつれて、日本画の美しさ、魅力に引き付けられている自分がいます。これからも積極的に日本画を鑑賞していこうと思った次第です。

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今回の特別展「横山大観の世界」のチラシ(表・裏)

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こちらの写真は二階堂美術館正面


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二科展を観てきました [絵画を鑑賞している]

先日、叔母から二科展のチケットが送られてきました。聞いてみると、(叔母は油絵を趣味にしていて)今年も二科展に入選したとのこと。叔母は三年前に初めて応募して以来、毎年入選しています。早速、今日の昼に会社を抜け出し、国立新美術館で家内と待ち合わせをし、叔母の絵を観てきました。

併せて、他の入選作品も観たのですが、玉石混淆という印象を受けました。素晴らしいと思う絵がある一方で、逆に「これは?」と首を捻りたくなるような絵もありました。(素人である)私の鑑賞眼も、まったくあてになるものではありませんが(汗)、正直な感想です。

しかし、どれも(物理的というか純粋にサイズ面で)大作ばかりで、その迫力には圧倒されました。これだけ大きな絵を描くとなると、それだけでもデッサン力等々、かなりの力量が必要かと思います。ただ、この展覧会の後、戻ってきた絵は一体、どうするんだろう?家で保管するだけでも大変そう・・・ (°O゜)☆\(^^;) バキ!

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こちらが今年の二科展のパンフレットとチケット

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そして、こちらが今年、入選した叔母の絵。叔母の絵には、特にその色使いに独特の個性があり、一見しただけで、これは叔母が描いたと分かります。


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九月に東京都美術館で開催されたモネ展を観に行きました [絵画を鑑賞している]

少し前のこととなりますが、九月の週末に東京都美術館で開催されているモネ展を家内と一緒に観に行きました。

クロード・モネ(Claude Monet 1840~1926年)は言うまでもなく、フランス印象派を代表する画家で、私も(そして家族全員)が大好きな画家の一人です。今回の展覧会はモネの息子ミシェルからマルモッタン・モネ美術館に遺贈されたコレクションを中心に約90点が展示されています。そして、このコレクションは主に、モネがその最期まで手元においた絵画とのことでした。

特にモネが後半生を送ったジヴェルニーで描かれた最晩年の作品は、私にとっては初めて観る絵ばかりで、特に印象深いものでした。これら、ジヴェルニーの庭の様子(特に柳の木)を描いた絵は、完成しているのかどうかも分からない、まるで抽象画とも見違えるようなものばかりで、これまで観てきた「光の画家」モネの絵とは少し違った印象を与えます。光を描いたというより、もっとその奥にある「存在」そのものをキャンパスに原色でたたきつけたような絵の迫力には驚かされました。

この画家は自身の生の最期に一体、何を観て、そして何を描こうとしたしたのか、描こうとしていたのは「生」そのものだったのではないか、そうした雑感を得ました。

私にとって、モネのまた違った側面を知ることのできた展覧会でした。

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写真は東京都美術館「モネ展」入口に置かれた看板。深い感動を得た最晩年の作品の写真を載せたかったのですが、会場は写真が禁止されていて叶わなかったのがとても残念です。


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大分県立美術館(OPAM)に行ってきました [絵画を鑑賞している]

先週末、久しぶりに九州(大分)の実家に帰省しました。帰省の目的は、古い旧家に独り住まいをしている81歳の母の様子を観ることと、父の没後、遺された土地の整理について関係者の方々と相談することだったのですが、少し自由な時間が取れたので、今年、4月に新しく開館した大分県立美術館(OPAM)に母と行ってみることにしました。県立美術館の開館は2006年の青森県立美術館以来、日本では約10年ぶり、本館の設計は、2014年に建築界のノーベル賞とも呼ばれるプリツカー賞を受賞した坂茂(ばん しげる)氏によるものと、とても話題になっているようです。大分県のHPでは

「県民が自分たちの応接間と思えるような、「大分スタイル」のどこにもない美術館で、大分の美しい天然自然の中で美術に親しむことができる「四季を感じる」、さらに、様々な視点、感覚を通じて、感性や創造性に訴える「五感を刺激する」、「大分らしい」美術館を目指します。」
(以上「大分県-県立美術館」のHP記事からの引用)

と謳われています。どんな美術館なのか、とても期待しながら向かいました。建物は、

「敷地面積13,595㎡の広大な空間に構えられる、竹工芸をイメージしたという外壁のデザインが印象的な3階建ての建物」
(以上「FASHION PRESS」の「大分県立美術館が2015年春オープン!設計はプリツカー賞建築家、坂茂」の記事からの引用)

でして、ちょうど「モダン百花繚乱『大分世界美術館』-大分が世界に出会う、世界が大分に驚く『傑作名品200選』」が開催されていました。

特に、明確なコンセプトで集められたというより、オープン記念ということで、色々な美術館から貸し出された作品をそのまま展示している感じでしたが、マティスから田能村竹田、竹細工の人間国宝、生野祥雲斎まで、まさに百花繚乱といった感じで、観ているだけで、なんだかこちらまでもが嬉しくなってしまうような、そんな華やかさを感じました。

その中で特に私の目を惹いたのは、京都現代美術館の所蔵する、山口薫(1907~1968年)の「おぼろ月に輪舞する子供達」と題された、100×80.5の比較的小さな作品(1968年、絶筆)でした。なんと詩情豊かな作品なのでしょうか。観ているだけで、何故か涙が溢れそうになります。

「人間、死ぬ時にこういう景色が見られたら、なんて幸せなんだろう・・・」

これが、この作品を観た時の私の正直な感想でした。赤い馬は作者とその家族かもしれません。輪舞する子供たちの無垢な「命」そのものとも思える魂をそっと見守る作者の「眼」が感じられます。私自身、ここのところ非常に追い詰められた状態にあり、精神的にきつい日々を送っているのですが、この絵に少し救われました。(自身の人生を省みれば)私が死ぬ時に観る景色は虚無とも言うべき漆黒の闇だとは思いますが、この絵のような景色を観ることができるよう、何とか頑張りたいなとふと思わせるような、そんな絵でした。

母は改めてピカソの絵に感動したそうです。素晴らしい絵は生きる気力、元気のようなものを与えてくれます。母と私の二人は、こうして少し救われました。

短い時間ではありましたが、母と私は、この展覧会で素晴らしい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

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写真は大分県立美術館(OPAM)。 OPAMは「Oita Prefectural Art Museum」の略称です。竹工芸をイメージした建物は清々しい感じがして、とても明るい印象を受けました。

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こちらが山口薫「おぼろ月に輪舞する子供達」(1968年、絶筆)。この作品に関しては、こうした写真では真価は全く伝わらないような気がします。機会があれば是非、実物を観て欲しいと思います。


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二科展を観に、国立新美術館まで行ってきました [絵画を鑑賞している]

叔母が描いた絵が、第99回 二科展に入選したとのことで、今日の昼、会社を抜け出して、会場となっている国立新美術館まで観に行ってきました。私が国立新美術館を訪れるのは今回が初めてです。全面ガラス張りで明るい外観が特徴の、黒川紀章氏設計の建物の中はとても居心地が良く、快適です。叔母の絵は2Fの部屋に展示されていました。絵の大きさは50号とのことでしたが、展示されている他の絵はどれも大きく、小ぶりに見えるほどです。

一人、のんびりと叔母の絵を鑑賞していると、運よく、ちょうど叔母が友人と共にやってきて、久しぶりに会うことができました、そして絵について色々と苦労話など、説明して貰いました。

叔母は、70代後半にも関わらず、絵を書いたり、歌を読んだり、書を習ったりと精力的に活動されているようです。私も日々を怠惰に過ごすのではなく、しっかりと目的を持って、今日よりも明日、明日よりも明後日、より良き人間となるよう、努力しなくてはと改めて思った次第です。

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写真は叔母が描いた、今回、二科展に入選した絵。高いところに展示されていたため、下から見上げる形で写真を撮らざるを得ませんでした。


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平塚市美術館で開催されていた「石田徹也展」を観ました [絵画を鑑賞している]

ゴールデンウィーク後半の、子供の日(5日)の午後、私は一人で平塚市美術館で開催されていた「石田徹也展」を観に出かけました。昨年、Eテレ「日曜美術館」での特集番組を観てからというもの、いつか実物を自分の眼で観てみたいと思っていました。ちょうど、自宅から、何とか電車で行くことのできる平塚市で展覧会が開かれることを知り、こうして行ってみたという訳です。

展示会場には100点を超える作品が展示されていました。どれも、何かを訴えかけているような作品ばかりです。作品の脇に作者の創作ノートの写しが、絵を鑑賞する上での手掛かりとして添えられています。私は夢中になって、これらの作品を観ました。

石田徹也(1973~2005年)の作品は、現実には決して存在しないものを描いているという点で、シュルレアリズム絵画と言っても良いのかもしれません。まさに現実を越えた超現実を描くことで、社会、現代人のありよう、ありさまに対し、鋭いメスを入れているように感じます。と同時に私は、こうした超現実を描いた作者自身の「画家の眼」を強く意識することとなりました。そこには純粋な観察する眼そのものがあります。それこそが、これらの作品に、単純なシュルレアリズム絵画を越えた、社会性をも含んだ、強い訴求力を持たせることになっているのではないかと思いました。

テレビで観て以来、ずっと現物を観てみたいと願っていた、「捜索」(2001年)も展示されていました。とても美しい絵です。暫く間、私はぼーっと絵の前に立って、眺め続けました。私にとっての「安らぎ」はまさしくこれですね。そう感じる自分が幸せなのか、不幸なのかは分かりませんが、とても惹かれます。

結局、1時間半足らずの間、私はゆっくりと作品を鑑賞しました。本当に密度の高い時間を過ごすことができました。展覧会を観た帰り、ロビー脇の読書室のようなスペースで石田徹也の画集を観ている子供たちがいました、何人かが肩を寄せ合いながら、頁をめくる毎にケラケラと笑っています。そんな子供たちの無邪気な表情が、なんとも羨ましかったです。なぜなら私にとって、彼の絵はまさに「現実」そのものだったからです。

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写真は、この日訪れた平塚市美術館。
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美術館の入り口あたりにあった案内。

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横浜美術館で行われている「横山大観展‐良き師、良き友」を観に行きました [絵画を鑑賞している]

先週末の日曜日、家内と二人で横浜美術館で行われている「横山大観展‐良き師、良き友」を観に行きました。恥ずかしながら、こうした大掛かりな日本画の展覧会を観に行くのは初めてです。私が日本画について知っている知識といえば、今までパラパラと眺めた美術書やテレビ東京の人気番組「なんでも鑑定団」での鑑定品の解説(苦笑)等から得たもの程度の乏しさです。今回の美術展と通じて、知見を深めることができればと期待して出かけました。

作品はいずれも素晴らしいものばかりで、とても感心しました。横山大観(1868~1958年)の作品には「品格」がありますね。観ている人に、構図、色、筆遣いの全てが必然であると感じさせる力を持っています。「こうなんだ」「こうでなければいけない」と思わせる、その筆力は本当に凄いものだと感じ入りました。横山大観の友人たちの作品の中では、特に今村紫紅(1880~1916年)の作品が素晴らしいと思いました。この夭折の日本画家の作品はとても魅力的で、粋というか洒脱なものを感じます。

こうして初めて、明治中期から大正、昭和にかけての、横山大観を中心とする日本画の名品を実際に鑑賞したのですが、日本画って良いですね。なんだか、とてもしっくりきます。多分、画そのものに根付いた日本人の感性のようなものが、観ているうちに、私の心の深いところと共感しあうのでしょう。それは、とても気持ちの良い体験でした。

また、とても感心したのが、展示の仕方でした。年代別に展示されていて、年代別に作品の特徴等の解説と共に、作品別にそれぞれ解説文がそえられていたのですが、私のような初心者にとっても、非常に分かりやすく、絵の鑑賞に必要な知識を過不足なく伝えていたのが、とても印象的でした。また同時に開催されていた横浜美術館コレクション展では、上村松園(1875~1949年)、鏑木清方(1878~1972年)の美人画も展示されており、一緒に鑑賞できたのも嬉しかったです。美術館のこうした配慮は本当に有難いですね。ありがとうございました。今回、私にとって初めての日本画の展覧会でしたが、とても有意義かつ楽しい時間を過ごすことができました。今後、積極的に日本画を鑑賞していきたいと思った次第です。


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写真は横浜美術館「横山大観展‐良き師、良き友」ポスター。会期中、11月1日から、大がかりな展示替えがあり、代表作の「夜桜」などが展示されます。私は、11月以降、チャンスがあれば、もう一度、この展覧会に行きたいと思っています。こんなに展示替えがあるようでしたら、一枚のチケットで複数回、展覧会に行くことができれば良いのになんて思ってしまいました。

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今週の水・木の二日間、私は短い夏休みをとりました [絵画を鑑賞している]

8月28~29日の二日間、私は短い夏休みをとりました。私の勤務先では、年2回、一週間連続して休みを取ることができるのですが、今年の夏は自宅の修繕のため、7月初旬から8月初旬まで仮住まいをし、慌ただしい日々となったこと、また、二人の娘もそれぞれ、大学や高校の合宿、友達との旅行に度々行き、家族揃っての旅行が出来ないことから、今回は2日間だけの、ささやかな夏休みとなりました。

初日(28日)は、家内と二人で日帰りのドライブに出かけることにしました。気持ちの良い晴天のなか、車で箱根へと向かい、宮の下の富士屋ホテルで昼食をとった後、ちょうどモネの特別展示(「モネ、風景をみる眼」展)を行っているポーラ美術館を訪れました。美術館を訪れるのは本当に久しぶりです。箱根の素晴らしい自然の中、ガラスを多く用いた、美術館の美しいデザインが私たちを心地よい気持ちにさせてくれます。さっそく中に入り、モネを中心とする印象派の、多くの風景画を鑑賞しました。クールペやコロー、シスレーの作品も素晴らしかったですが、やはり、何と言ってもモネの作品が良かったです。モネは「景色」を書いているのではなく、その場の「空気」というか、「光」そのものを書いている、そんな気がします。特に雲や煙、水の描写は本当に見事というしかありません。私と家内は、殆ど他の鑑賞者がいない中、思う存分、絵を鑑賞することができました。

暫くの後、私たちは閉館のアナウンスに促され、ポーラ美術館を後にしました。駐車場に向かって歩いていると、行きには気付かなかった小さな可愛い彫刻が、通路の真ん中に置かれていました。その、余りにも可愛らしい姿に、私の心はすっかり癒されました。

2日目は、日中は近くのホームセンター(「東急ハンズ」ららぽーと横浜店)のバーゲンに出かけ、前から欲しかった色々な日用品を安く買い込んだり、ガソリンスタンドで車の修理をしたりし、夜は、家内とお酒を飲み(娘二人はそれぞれ友達と遊びに出掛けたり、塾に行ったりしています)、ビデオに撮りためていた映画のうち、純粋に楽しめそうな娯楽映画(この日のチョイスは「007 スカイフォール」)を観たりしながら、私の短い夏休みは終わっていきました。

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写真はポーラ美術館の通路の真ん中に置かれていた、小さな女の子の彫刻。作者は分りませんでしたが、ジャン=ミシェル・フォロンかも知れない…なんて思いました。(違うかな?)

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東京国立近代美術館の「パウル・クレー展-終わらないアトリエ」を観に行きました [絵画を鑑賞している]

昨日、家族と東京国立近代美術館の企画展示「パウル・クレー展-終わらないアトリエ」(PAUL KLEE: Art in the Making 1883-1940)を観に行きました。パウル・クレーは私の大好きな画家の一人でして、このブログのトップページにも彼の晩年の作品である「忘れっぽい天使」 を飾らせて頂いています。今回のこの美術展を訪れた目的は次女の夏休みの課題(美術館に行って、感想文を書く)に応えるためだったのですが、私自身、期待に胸をふくらませて東京メトロ竹橋駅から東京国立近代美術館へと向かいました。
展覧会は、

1:現在/進行形 - アトリエの中の作品たち
2:プロセス1 写して/塗って/写して - 油彩転写の作品
3:プロセス2 切って/回して/貼って - 切断・再構成の作品
4:プロセス3 切って/分けて/貼って - 切断・分離の作品
5:プロセス4 おもて/うら/おもて - 両面の作品
6:過去/進行形 - 特別クラスの作品たち

から構成されてまして、約170点の作品(水彩やペン画が多く、思ったよりも油彩の本格的な作品は少ない)が展示されていました。油彩転写と”特別クラス”の作品には見ごたえのある作品が多かったような気がします。そして展覧会の狙いであった、クレーの、制作にあたっての実験、手法の開発の具体的な実例を観ることができ、とても興味深かったです。
こうした作品を観ながら、この日、私が考えていたのは「クレーの作品には『音楽性』を感じるが、ここで感じている『音楽性』という意味は、具体的には一体どのようなものなのか」ということでした。感覚的な物言いで恐縮ですが、クレーの色の重ね方は、単音を重ねて和音としているのに似ています。色彩を重ねることで、物語性が強調されると共に、作品に深い陰影が備わっていきます。そしてその色使いはとても繊細で、ある意味、調性に従ったものであるように感じられます。そして、クレーの書く線は、それぞれが旋律を奏でているような、その線自体が意味を持ったものです。そしてその線がそれぞれに和声を構成しているような、そんな密やかな息づかいすら感じることができます。その結果、クレーの作品は「ゆらぎ」による多様性を獲得しているのではないだろうか。
私はクレーの作品を観ながら、そんなことをつらつらと考えていました。

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《襲われた場所》 1922, 109 ペン・鉛筆・水彩・紙・厚紙、30.7×23.1cm、 パウル・クレー・センター(ベルン)

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《山のカーニヴァル》 1924, 114 水彩・紙・厚紙、24.0×31.3cm、 パウル・クレー・センター(ベルン)

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《花ひらいて》1934, 199  油彩・カンバス、81.5×80.0cm、 ヴィンタートゥーア美術館蔵。この作品は東京国立近代美術館の所蔵する《花ひらく木》1925, 119 油彩・厚紙、39.3×39.1cmを90度回転し、その上で2倍に拡大したものです。

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