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この週末、自宅で2014年のイタリア映画「夏をゆく人々」を観ました [映画を観ている]

先週末の日曜日に、自宅のリビングルームで2014年のイタリア映画「夏をゆく人々」(原題「LE MERAVIGLIE」)を観ました。この映画は2014年の第67回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した作品です。実は、他にもまだ観ていない(録りだめた)映画は沢山あるのですが、この映画の題名が、今の季節と雰囲気にピッタリだと感じて、今回、観てみることにしました。内容は、

光と緑あふれるイタリア中部・トスカーナ州周辺の人里離れた土地で、昔ながらの方法で養蜂を営む一家の物語。ジェルソミーナは4人姉妹の長女で、自然との共存をめざす父・ヴォルフガングの独自の教育と寵愛を受け、今や父よりもミツバチに精通している。家族は自然のリズムのなかで生活を営んできたが、夏、村にテレビ番組「ふしぎの国」のクルーが訪れ、一家がひとりの少年を預かった頃から、日々にさざなみが立ち始める――。
(以上、Amazon.co.jp 夏をゆく人々(DVD)「商品の説明」からの引用です)

といったものです。映画のストーリー、映像自体はそれほど刺激的でもなく、どちらかというと淡々と綴られる感じなのですが、何となく飽きずに観てしまう感じです。あるがままと言えば良いのか、とても自然というか、演技をまったく感じさせない、この映画の雰囲気はある意味、異色なものです。実は、観終えた直後は「あまり面白くなかったなあ・・・時間の無駄だったかも・・・」とまで思ったのですが、その後、じわじわと感動というか、「いやいや、結構、良い映画だったんじゃないの?」という思いが湧いてきました。なんといっても、この映画の鍵はラストのシーンです。それまでのストーリーを全て纏める、このラストシーンこそが、この作品の映画としての価値を一気に高めています。

どなたにも是非にと薦める映画とは言えませんが、映画好きの方なら観て損はないかと思います。なかなか魅力的な佳作です。

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写真は「夏をゆく人々」(DVD)


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火曜日の早朝、自宅で、新海誠監督の2007年の日本アニメ映画「秒速5センチメートル」を観ました [映画を観ている]

前の記事で月曜日の早朝に日本アニメ映画「言の葉の庭」を観たことを書きましたが(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-08-01、その翌日の火曜日の早朝に、今度は同じ新海誠監督の2007年の日本アニメ映画「秒速5センチメートル」を観ました。内容は、「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」という短編3話の連作となっており、

桜花抄(おうかしょう)
物語は1990年代前半頃の東京の小学校を舞台に始まる。東京の小学校に通う遠野貴樹と篠原明里は互いに「他人にはわからない特別な想い」を抱き合っていた。小学校卒業と同時に明里は栃木へ転校してしまい、それきり会うことがなくなってしまう。貴樹が中学に入学して半年が経過した夏のある日、栃木の明里から手紙が届く。それをきっかけに文通を重ねるようになる2人。しかしその年の冬に、今度は貴樹が鹿児島へ転校することが決まった。鹿児島と栃木では絶望的に遠い。「もう二度と会えなくなるかもしれない……」そう思った貴樹は、明里に会いに行く決意をする。しかしその約束の日、関東では大雪となった。当初の予定は列車の遅延で大幅に狂い、時間だけがただ残酷に流れていく……。貴樹と明里の、再会と別れの1日を時間経過とともに描く。

コスモナウト
種子島の高校3年生・澄田花苗は、中学2年の春に東京から転校してきたクラスメイトの貴樹に恋をしていたが、その想いを伝えられずにいた。しかも、卒業を間近に控えながら自身の進路も決められず、趣味のサーフィンでも波の上に立つことができないというスランプに陥っていた。そんな折、貴樹が卒業後に東京の大学へ行くと知った花苗は、再び「波の上に立つことができた」そのとき、自身の想いを貴樹に告げようと決心する。

秒速5センチメートル
貴樹は高みを目指そうともがいていたが、それが何の衝動に駆られてなのかはわからなかった。ただひたすら仕事に追われる日々。3年間つき合っていた女性からは「1000回メールしても、心は1センチくらいしか近づけなかった」と言われ、自身の心が彼女に向いていないことを見透かされてしまう。貴樹自身も自分自身の葛藤から、若き迷いへと落ちてゆく。しかし、貴樹の心は今もあの中学生の雪の夜以来ずっと、自身にとって唯一の女性を追い掛け続けていたのだった。一方、明里は……。大人になった彼らの自らへの自問自答を通じて、魂の彷徨を描いた表題作。(以上、「Wikipedia」の解説文からの引用。一部、語尾の変更、文の削除といった編集を行っています)

といったものです。観終えた感想は「言の葉の庭」の時とは違い、残念ながらあまり良いものではありませんでした。どうやら、小説版や漫画版を読めば本作品に対する印象もかなり変わるようですが、映画だけを観る限りでは、貴樹は初恋の人、明里の事が忘れられないにもかかわらず、大人になるまで結局、具体的な行動をとらず、また、そうした想いに囚われていることで、大人になっても、他の女性とのコミュニケーションがうまくいかない、ただそれだけのようにしか見えないのです。それではダメな男の独りよがりな物語ということになってしまいます。

多分、(人によっては)違う見方もできるのでしょうが、私には先に述べたようにしか思えませんでした。ただ、映像作品としてみると、風景描写は本当に美しく、観ていて思わず息を飲みます。その素晴らしさを味わう事が出来ただけで、私は満足しました。

こうして私は今週、新海誠氏の二作品を観ました。最新作の「君の名は。」は8月26日公開とのことですが、こちらも機会を見つけて観てみようと思っています。

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写真は新海誠監督「秒速5センチメートル」(DVD)


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月曜日の早朝、自宅で、新海誠監督の2013年の日本アニメ映画「言の葉の庭」を観ました [映画を観ている]

今日の朝、かなり早くに目が覚めてしまったので、自宅一階のリビングルームで、レンタルビデオ屋から借りてきていた新海誠監督の2013年の日本アニメ映画「言の葉の庭」を観ました。

私はこの監督の名前を、先週水曜日(7月27日)のNHKの朝のニュース番組(「おはよう日本」)の特集ダイジェストで初めて知りました。それによれば今年、アメリカの歴史あるエンターテイメント雑誌の「注目すべきアニメーター10人」に日本人として初めて選ばれ、今回の最新作(「君の名は。」)は北米でも上映される予定とのこと。番組では、併せて彼の最新作、過去の話題作が紹介されていたのですが、何と言ってもその風景映像の美しさ(「新海マジック」と呼ばれているそうです)には驚かされました。さっそく会社近くのレンタルビデオ屋で「言の葉の庭」「秒速5センチメートル」を借りてきたのですが、なかなか観る機会がなく、ちょうど、こうして月曜日の朝早く目が覚めてしまったので、これ幸いと、まずは「言の葉の庭」の方を観てみたという訳です。

「言の葉の庭」は上映時間が46分という、かなり短いアニメ映画となりますが、私にとっては、とても濃密かつ充実した時間を過ごすことができました。内容は、

“デジタル時代の映像文学”で世界を魅了する新海誠監督が少年のひと夏の淡い想いを描いた恋物語。靴職人を目指す高校生・タカオは、雨の朝は学校をさぼり、庭園で靴のスケッチを描いていた。そんなある日、彼は謎めいた年上の女性・ユキノと出会う。
(「キネマ旬報社」データベースからの引用)

というもので、ストーリ、映像共に、「ピュア」という言葉がピッタリの、とても繊細な映画でした。私のような54歳の中年男にとっては、辛く切ない映画でもあります。この映画で表現されているような純粋な心、感受性に代表される、何か大切なものを既に失ってしまっている自分に気付かされるからです。「いつから僕は間違ってしまったのだろう・・・」という疑問というか後悔というか、自身に対する責めの気持ちに苛まれます。とても悲しい話ですが、最近になって(特に今年に入ってからというもの)「僕はどこかで間違えてしまった・・・」と思う事が多くなってきました。多分、私は今、あまり幸せではないのでしょう。

久しぶりに観たアニメ映画だったのですが、とても良かったです。日本のアニメ映画ならではの、作りの丁寧さのようなものがひしひしと感じられます。特に雨の景色と東京、新宿の映像描写は息を飲む素晴らしさです。この映像美だけでも観る価値はあると思います。

「言の葉の庭」を観ている46分の、つかの間のあいだ、私は、大切なものを失ってしまう前の少年時代に戻ることができました。新海監督、ありがとうございました。

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写真は劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD。DVDに併せて収められていた「新海誠監督&キャストインタビュー」での新海誠監督のインタビューはとても興味深く観ました。これを観ると、この映画が本当に細部まで練り込まれ、作り込まれていることが良く分かります。


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この週末、自宅で1993年のヨーロッパ映画「トリコロール/青の愛」を観ました [映画を観ている]

週末の日曜日の午後、自宅で、クシシュトフ・キェシロフスキ監督による「トリコロール」3部作の1作目となる「トリコロール/青の愛」(原題「Trois Couleurs: Bleu」1993年/仏・波・羅合作)を観ました。

「トリコロール」3部作は、それぞれの作品が「自由(青)・平等(白)・博愛(赤)」を象徴しており、本作は「青の愛」=「(過去の)愛からの自由」をテーマとしている。
(以上、Wikipedia「「トリコロール/青の愛」解説文からの引用)

とのことですが、私はどちらかというと「『自由』の不自由さ」を描いた映画という印象を受けました。勿論、まだ残りの二作(白、赤)を観ていないので決めつける訳にはいきませんが、扱っているテーマは一見、重いものの、キェシロフスキ監督の、どこか冷めたというか、それこそシニカルな視線を感じます。その愁眉は何と言っても、老人ホームにいる、主人公のジュリー(ジュリエット・ビノシュ)の母親が観ているテレビ番組です。私は、これを観て、思わず爆笑してしまうと共に、いっぺんで本作を好きになってしまいました。ネタばれになってしまうので、これ以上の詳細は書きませんが、この映画は、どこかひねているのです。

映像美という点でいうと、この映画は本当に素晴らしいです。色々な青が溢れていて、それらが全て、とても美しく、観ていて飽きることがありません。それだけでもこの映画を観る価値があると言っても良いくらいです。私は1時間半の間、この映像美を存分に堪能することができました。

今後、残りの「トリコロール」3部作を観た上で、また改めて本作を評価してみたいと思います。

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「トリコロール/青の愛」(原題「Trois Couleurs: Bleu」1993年/仏・波・羅合作)


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入院中の病室のテレビで、2004年のヨーロッパ映画「エレニの旅」を観ました [映画を観ている]

先週の木曜日に、以前、「永遠と一日」と一緒にテレビ録画し、ブルーレイディスクに保存しておきながら、未だ観ていなかった、巨匠テオ・アンゲロプロス(Theodoros Angelopoulos 1935~2012年)監督作品である映画「エレニの旅」(原題「Trilogia: To livadi pou dakryzei」2004年/仏・希・伊合作)を観ました。「永遠と一日」を観た時にも書きましたが、私はこの映画を2011年1月に録画した(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2011-01-12)ので、なんと5年がかりでやっと観たことになります。この映画は、

ロシア革命でオデッサを追われた人々がギリシャに戻って築いた村で、戦災孤児だったエレニは村のリーダー、スピロス(コロヴォス)に引き取られ育てられていた。スピロスに結婚を迫られたエレニは恋人(プルサディニス)とともに逃げ出し、ニコス(アルメニス)たちともに旅芸(音楽)人として生きることを選ぶ。(以上、Wikipedia「エレニの旅」解説文からの引用)

そして、エレニが第二次世界大戦までのギリシアにおける様々な出来事の中で、運命に翻弄され、過酷ともいうべき半生を歩む。

といった内容で、「テオ・アンゲロプロス監督による20世紀を題材にした三部作の一作目」以上、同じくWikipedia「エレニの旅」解説文からの引用)にあたる作品となります。アンゲロプロス監督ならではの、曇天の中での河と海の、見事な映像美は更に磨きがかかり、とても素晴らしくて思わず観入ってしますが、一作品としての評価は三部作全てを観た上でないと、難しいのではないかというのが正直な感想です。実際、

「20世紀三部作」の第1部『エレニの旅』(2004年)においては、舞台をバルカン半島以外にも広げ、新たなる展開を示した。20世紀三部作は、当初『トリロジア』という題名の1本の長編となる予定であったが、上映時間が膨大になりすぎるため、三部作として製作されることとなったという。(以上、Wikipedia「テオ・アンゲロプロス」解説文からの引用)

ですので、「エレニの旅」は「トリロジア」の前編にあたります。しかし、とても残念なことに、

2009年に第2部『エレニの帰郷』を発表。第3部『THE OTHER SEA(もう一つの海)』の撮影中だった2012年1月24日、アテネ郊外のトンネル内でオートバイにはねられて頭を強打し、運ばれた先の病院で死亡した。(以上、同じくWikipedia「テオ・アンゲロプロス」解説文からの引用)

のため、中編となる「エレニの帰郷」までは観ることができるものの、この物語は未完のままなっています。そうしたことから、(私も含め)アンゲロプロスのファンにしてみれば、あの映像を観るだけでも十分満足でしょうが、初めてアンゲロプロスの作品を観ようとする方にはお勧めできないです。また私自身も、次作となる「エレニの帰郷」を観ていないので、この作品に対する安易な評価は差し控えたいと思います。

この入院生活の中で、こうして5年前にBDレコーダーに撮り溜めたままとなっていたテオ・アンゲロプロス監督の作品を観ることができたのは、私にとって、とって大きな収穫であり、喜びでした。また、機会を見つけて、まだ観ていない彼の作品にトライしてみようと決意を新たにした次第です。

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「エレニの旅」DVDパッケージ写真


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入院中の病室のテレビで、ポーランドのテレビドラマである「デカローグ」を観ました [映画を観ている]

今週の月曜日から水曜日を使って、何年も前に手に入れながら、これまで途中までしか観ていなかった「デカローグ」(原題:波「Dekalog」, 英「The Decalogue」 DVD5枚組、2001年アップリンク社)を、もう一度、第一話から最終話(第10話)まで続けて観ました。

「デカローグ」は、1989年から1990年にかけて製作されたポーランドのテレビドラマ・シリーズ。クシシュトフ・キェシロフスキが監督を務め、キェシロフスキとクシシュトフ・ピエシェヴィッチが脚本を、音楽をズビグニエフ・プレイスネルが担当した。各1時間の全10話で構成され、聖書の十戒をモチーフにしている。現代のポーランドに住む人々が直面する道徳的・倫理的な問題が各話で扱われる。本作はキェシロフスキの作品で最も称賛されており、「テレビ作品では最もドラマティックな作品」と言われている。第46回ヴェネツィア国際映画祭国際映画批評家連盟賞など国際的に多数の賞を受賞し、1990年代後半にはヨーロッパ以外でも公開された。スタンリー・キューブリック監督は1991年に出版した脚本の前書きで、本作への憧れに満ちた文章を執筆した。(以上、Wikipedia「デカローグ」解説からの引用・一部注釈記号等を削除)

私はこのシリーズを長い間、観たいと思い続けていながら、忙しさにかまけ、果たせていませんでした。今回、入院という、自分にとっては思いもしない事態の中だったものの、こうして全巻続けて観ることが出来、ちょっとした達成感を今、味わっています。

第1話 「ある運命に関する物語」
第2話 「ある選択に関する物語」
第3話 「あるクリスマスイヴに関する物語」
第4話 「ある父と娘に関する物語」
第5話 「ある殺人に関する物語」
第6話 「ある愛に関する物語」
第7話 「ある告白に関する物語」
第8話 「ある過去に関する物語」
第9話 「ある孤独に関する物語」
第10話 「ある希望に関する物語」

もう、何といえば良いのか、本当に素晴らしいとしか表現する言葉が浮かびません。どの話も、とても刺激的で、「人間」に対する深い洞察と、その見事な映像表現に酔いしれ、一話終わるごとに、考えさせられることとなります。内容は、ワルシャワ郊外の団地の住人達を主人公にして、それぞれ一話完結ながらも、それぞれの主人公が別の物語に出ていたりと、シリーズとして人間社会そのものの縮図のような印象を与えます。また、(7話と10話を除く)全ての物語に、超自然的な存在(「神」)として「名前のない人物」が登場し、「鍵となる瞬間に主人公を観察し、手出しせずに自由に行動」します(この一文はWikipedia「デカローグ」解説分を全面的に参考にし、一部「」分は引用しています)。この男の存在も話に深みを与えています。どの話も素晴らしいのですが、第1話から観続けてきた上で、第10話の、まさにキェシロフスキ監督の人間愛に溢れた、人間賛歌ともいうべき話を観たときの感動は忘れられないです。私は思わず笑い泣きしてしまいました。

「デカローグ」を観ることができて、私は本当に幸せです。こんな体験は、ここ最近味わったことのないものです。もし、観ていらっしゃらないようでしたら、機会があったら是非、観てみてください。何らか、必ず観た人の人生観そのものに影響を与えるドラマだと思います。

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こちらが「デカローグ(DVD5枚組)」(アップリンク社)。また、このドラマ(3、5、8話は除く)では「牛乳」が一つのキーワードというか聖なるものの隠喩となっています。


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入院中の病室のテレビで、2011年のヨーロッパ映画「ソハの地下水道」を観ました [映画を観ている]

またまた映画の話で恐縮です。先週末に、以前、テレビ録画してブルーレイディスクに保存していた映画「ソハの地下水道」(原題「In Darkness」2011年/白・独・加合作)を観ました。この映画は「 第二次世界大戦中にユダヤ人たちを地下水道にかくまい、命がけで守り抜いたポーランド人レオポルド・ソハの実話を題材にしたロバート・マーシャルの同名書籍を映画化した作品」(以上、Wikipedia「ソハの地下水道」解説からの引用、抜粋)で、

1943年のポーランド。地下に盗品を隠しながら懸命に生きてきた水道労働者のソハは、ナチスの迫害から地下に逃れたユダヤ人たちに出会う。最初は金目当てでユダヤ人をかくまったソハだったが、少しずつ彼らに同情するように。しかし、ソハの行動は自分だけではなく家族の命を危険にさらすことになり……。(以上、「シネマトゥデイ」からの引用、抜粋)

といったものです。映画の殆どののシーンが真っ暗で不潔な地下水道内のものばかりという、それだけで気が滅入りそうな映画ですが、不思議とそうした気分にならずに最後まで飽きることなく観ることができました。こういうところが映画監督のセンスの見せ所なんでしょうね。上手いです。

また、ソハが良いです。最初は、いかにも粗野で無骨なポーランド人なのですが、自分でも気づいていない変化である、この男の奥底にある「善」が徐々に表に出てくる様子が丹念に描写されていて、思わず観る人を感情移入させます。そしてこの映画の、何と言っても一番の山場は、ソハの娘が聖体拝領の儀式の最中、教会の真下の下水道内では、ユダヤ人達が復活祭の祭礼行う、とても幸せなシーンとその後、急展開する部分です。このシーンで映画は異なる宗教がお互いいがみ合うのではなく共存しうるものだということを訴えていたのではと思いますが、これはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった、特に一神教の宗教を信仰する人にとっては、とても難しいことです。これを乗り越えていくには一体、何が必要なのか、思想なのか哲学なのか、それとも良心なのか、それこそ宗教でしか乗り越えられないのか、一度、私も考える必要があるのではないか。そんな雑感をこのシーンを観ながら持ちました。

この映画の最後にテロップで主人公を含め家族の、その後の運命が語られます。それは、とても衝撃的なもので、また、人間というものの性(さが)を強く感じさせるものです。何とも難しいものだと感じた次第です。

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「ソハの地下水道 [DVD」]のパーケージ写真


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入院中の病室のテレビで、1998年のヨーロッパ映画「永遠と一日」を観ました [映画を観ている]

一昨日に、以前、テレビ録画してブルーレイディスクに保存しておきながら、未だ観ていなかった、巨匠テオ・アンゲロプロス(Theodoros Angelopoulos 1935~2012年)監督作品である映画「永遠と一日」(原題「Eternity and a Day」1998年/希・仏・伊合作)を観ました。自身のブログを振り返ってみると、2011年1月に録画したと書いています(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2011-01-12)ので、なんと5年がかりで観たことになります。

この映画は、

北ギリシャの港町テサロニキ。不治の病を自覚した老作家(詩人)アレクサンドレは、親友たちと島まで泳いだ少年時代の夢から目覚める。彼は、今日がすべてに別れを告げる最後の日と決意するが、アルバニア難民の少年と偶然出会ったことから、魂の旅に出ることになる。少年時代の追憶、亡き妻との日々、そして現在が自在に交錯する。
(以上Amazon.co.jp 「永遠と一日 [DVD]」の「内容紹介」からの抜粋、引用。一部括弧書きにて加筆)

といった、「詩人の最期の一日と難民の子供との出会いの「人生の旅の一日」の中で現在と過去と未来、現実と旅と夢を描いた作品」(以上、Wikipedia「永遠と一日」解説文からの抜粋、引用)です。映画の内容が、わずか一日のことを描いていることもあってか、上映時間は2時間13分と、私が、これまで観たアンゲロプロス監督作品の中では一番短い作品であり、また、内容も複雑というより、むしろストレートかつ分かりやすいものとなっています。もし、アンゲロプロス監督の作品をまだ観たことが無い方にアドバイスを求められたら、私はまず、この作品から観てみることをお勧めすると思います。

だからといって私はこの映画が単純だと言っている訳ではまったくありません。もう、数えきれない位の、豊かで、かつ映像美に溢れたカットの連続の中で、近代西洋哲学以降、「人間」が抱える最大のテーマであり続けていると思われる「神無き世界における自他の問題」に対する考察というか、魂の叫びのようなものが表現されています。これは、まさしく総合芸術としか言いようの無い文芸映画です。

この映画の中で老詩人アレクサンドレが病室の母親の前で、「なぜ、私は一生よそ者なのだ」「なぜ、お互いの愛し方が分からないのか」と自らの心情を激しく吐露するシーンは、アンゲロプロス監督作品の中では珍しく、ストレートかつダイナミックなもので、私は激しく胸を打たれました。結局、アレクサンドレは「明日の時の長さは」の答えを得たのでしょうか?彼は「きこえない!」と叫んだ後、「すべては真実で、真実を待っている」と言いながらも、あの例の呼びかけに振り向いたのかどうか、その答えは観客に委ねられます。

素晴らしい作品です。こんなに充実した映画体験を得たのは本当に久しぶりです。この映画を観ることができて良かったです。ありがとうございました。

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「永遠と一日」映画ポスター。この映画には、アンゲロプロス監督の作品というと、いつも曇天のシーンというイメージですが、この映画では雲ひとつない美しい島と海のシーンも観ることができます。例の雨合羽隊も出てきます。私は、そのキュートさに、思わず笑ってしまいました。尚、この映画の字幕翻訳はなんと、作家の池澤夏樹さんで、素晴らしい翻訳が作品の素晴らしさを見事に表現しています。
私は、この映画を録画したときに書いたブログの記事の最後に「最大の問題はせっかく録画した、これらの作品を、はたして私はじっくりと独りで観ることができるかどうかだけですね(苦笑)」と書いていますが、まさか、その5年後に入院先の病室で観ることになるとは、思いもしなかったことだったでしょう。なんとも言えない気持ちにとらわれました。


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入院中の病室のテレビで、2012年のヨーロッパ映画「愛、アムール」を観ました [映画を観ている]

昨日、以前、テレビ録画してブルーレイディスクに保存しておきながら、未だ観ていなかった映画「愛、アムール」(原題「Amour」2012年/仏・独・墺合作)を観ました。この映画は、

パリ都心部の風格あるアパルトマンに暮らす音楽家の老夫妻。満ち足りた夫婦の日々は、ある日妻の発病で突如暗転する。「二度と病院に戻さないで」妻の切なる願いを聞き入れ、夫は自宅でともに暮らすことを決意。不自由な体に苦悩しながらも、誇りを失わず、これまで通りの暮らしを毅然と貫くアンヌ。それを支えるジョルジュ。しかし、アンヌの病状は確実に悪化し心身は徐々に常の状態から遠ざかっていった。現実との狭間で次第に二人は家族からも世の中からも孤立していく。ふたりきりになったジョルジュとアンヌ。ある日、夫はうつろな意識の妻に向かって、懐かしい日々の思い出を語り出す――。
(以上Amazon.co.jp 「愛、アムール [DVD]」の「内容紹介」からの抜粋、引用)

といったものなのですが、舞台のほぼ全てが老夫婦の自宅内であることからも、この映画は現代における、ドイツ映画のオリジナルスタイルである「室内劇映画(カンマーシュピール)」の伝統を引き継ぐ映画とも言えるかも知れません。その上、この映画はワンカットがとても長く、観ている方は、自然と映画に対して緊張し、集中することとなります。こうした映画製作の上でのテクニックというか、技法がとても上手く、ほぼ二人劇で、俳優の動きも少ないにも関わらず、まったく飽きることがありません。

ありていに言ってしまえば、老妻が死ぬまでの老夫の介護の物語ということになるのですが、決して、こんな言葉で片付けられることのない、深い人生の物語です。一つ一つのエピソードがとても印象的で、含蓄のようなものを感じさせます。それは、この夫婦のベースに、長年にわたって積み上げ、大切に育んできた長い愛の歴史があるからです。この映画の題名が「愛(アムール)」であるのも、そういう意味なんだと一人、納得した次第です。

ラスト近くの鳩のシーンは象徴的です。「鳩」は妻の隠喩であり、老夫は結局、その鳩を捕まえるものの、結局、また外に逃がします(二度目の鳩を逃がすシーンは無く、彼の書く手紙で観ている者は知ることになります)。そして、衝撃的とも言えるラストを迎えるのです。私はこの映画を観た後、暫くの間、単純な感動というのとは少し違った、深い余韻に浸ることとなりました。素晴らしい時を過ごす事ができました。良い映画だと思います。まだ観ていらっしゃらないなら、是非一度観てみてください。お勧めします。

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「愛、アムール」映画ポスター。残念ながら、このポスターのキャッチコピーは見当はずれというか、この映画の本質的な価値をまったく理解していないように思われてなりません(泣)。
また、私はWOWOWで放映されたものを録画していたのですが、映画の前後に故・安西水丸さんがこの映画について感想を語っていました。いつもの何とも味のある、小粋な雰囲気で素敵でした。そのコーナーの中で、司会役の方から年齢を聞かれ、「今、私は72歳ですよ」とおっしゃっていらっしゃったので、その同年(2014年)に亡くなられたことになります。改めてご冥福をお祈りいたします。


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入院中の病室のテレビで、2013年のヨーロッパ映画「リスボンに誘われて」を観ました [映画を観ている]

昨日、以前、テレビ録画してブルーレイディスクに保存しておきながら、未だ観ていなかった映画「リスボンに誘われて」(原題「Night Train to Lisbon」2013年/独・西・葡合作)を観ました。この映画は、

全世界で発行部数400万部を突破しているパスカル・メルシエのベストセラー「リスボンへの夜行列車」を豪華キャストで映画化。スイス・ベルンの高校で、古典文献学を教えるライムント・グレゴリウスは、ラテン語とギリシア語に精通する、知性と教養に溢れた人物。5年前に離婚してからは孤独な一人暮らしを送り、毎日が同じことの繰り返しだが、特に不満は無かった。だが──学校へと向かうある嵐の朝、吊り橋から飛び降りようとした女を助け、彼女が残した1冊の本を手にした時から、すべてが変わる。本に挟まれたリスボン行きの切符を届けようと駅へ走り、衝動的に夜行列車に飛び乗ってしまうライムント。車中で読んだ本に心を奪われた彼は、リスボンに到着すると、作者のアマデウを訪ねる。彼の妹が兄は留守だと告げるが、実は若くして亡くなっていたと知ったライムントは、彼の親友や教師を訪ね歩く。医者として関わったある事件、危険な政治活動への参加、親友を裏切るほどの情熱的な恋──アマデウの素顔と謎を解き明かしていくライムント。 そして遂に、彼が本を著した本当の理由に辿り着くのだが──。 "選ばなかった人生"に思いを馳せたことのある大人たちに贈る、新たな発見に満ちた感動の物語。
(以上Amazon.co.jp 「リスボンに誘われて [DVD]」の「内容紹介」からの抜粋、引用)

といったものでして、上に引用したように、映画自体は、とあるハプニングから手にした一冊の古書の内容に惹かれ、その著者及び関係者の波乱の人生の謎の真実を追い、知りながら変っていく、主人公ライムントの魂の遍歴の話ということになるのですが、この映画は、何と言っても映画の背景の風景描写が本当に美しくそして素晴らしいです。また出てくる俳優も全て、とても魅力的で演技が上手く、ヨーロッパ映画らしい、上質な、少しミステリー的な要素も加味した素敵な映画だと感じました。

映画自体は観ている間はとても楽しかったのですが、観終わった後、この映画のことを振り返ってみて、一つだけ引っかかってしまったのは、この映画、そして映画の中で鍵となる古書が、フェルナンド・ペソア(Fernando António Nogueira de Seabra Pessoa、1888~1935年)の『不安の書』(不穏の書)をモチーフとしていたことです。私は五年ほど前にこの本を読み、強烈な文学的刺激を受けた(その時の記事はこちらです→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2011-03-19)のですが、では、映画の中で何回も主人公が独白する映画の古書の著者アマデウの一節がそれほどの力を持っているようには私には感じられず、謎を追うことがメインのストーリーの中でただ、聞き流してしまっていました。そのためもあってか、これらのアマデウの言葉に惹きつけられる主人公ライムントの内面の微妙な心の動きが今一つ表現されておらず、狂言回しとまでは言いませんが、ただの謎追い人になってしまっているかのような印象を受けました。

(時間的な制約が大きい)映画ですので、どうしてもストーリー展開がメインとなるのは当たり前のことなのですが、ペソアの名前を出すとなると、(私自身が偏屈で、拘りすぎなのは重々承知しているのですが)映画に文学的かつ哲学的な深みをもっと加えないと、それこそ名前負けになってしまいます。これが、私が、この映画に物足りなさを感じた所以なのだと思います。私は未読ですが、もしかしたら原作の小説の方は、またかなり違った趣きなのかも知れません。今度、機会があったら、手に取ってみようと思います。

最後に、これは、とても恥ずかしいことですが、私は独裁政権「エスタド・ノヴォ」時代のポルトガルにおける反体制活動について、これまでまったく知りませんでした。これから色々と調べて、勉強してみようと思った次第です。

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「リスボンに誘われて」映画ポスター


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