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昔、テレビで観ていたアメリカのテレビドラマ「アメリカン・ヒーロー」のDVDを手に入れました [テレビを観ている]

昔、私が高校生だった頃(1980年代前半)に、確か日曜日の夜だったかと思うのですが、テレビで「UFO時代のときめき飛行 アメリカン・ヒーロー」(原題:The Greatest American Hero)という テレビドラマ番組が放映されていました。このドラマは、

主人公ラルフ・ヒンクリーは平凡な高校教師であるが、妻とは離婚訴訟中で、一人息子の親権を争っている。そんなある日。その場に居合わせたFBI捜査官のビル・マックスウェルと共に、突然UFOと遭遇し、胸に漢字の「中」に似たマークのついた赤いスーパースーツを与えられ、世の中の正義を守るために悪と戦えと告げられる。
混乱したラルフはスーツの取扱説明書を無くしてしまい(UFOと遭遇した場所から立ち去るときに落とす)、手探りでスーパーマン稼業をはじめることとなってしまった。そんな彼の秘密を共有し、助けるのはFBI捜査官のビルと、美人弁護士の恋人パムのふたり。
(以上Wikipedia「アメリカン・ヒーロー」解説文からの引用です。)

というものです。ウィリアム・カット(William Katt 1951年~)主演の、なんとも、ほのぼのとしたコメディタッチのドラマで、ジョーイ・スキャベリー(Joey Scarbury 1955年~) が歌う主題歌もとても良く、当時、私は毎週テレビで観るのを楽しみにしていました。また、主人公ラルフの恋人である女性弁護士役を演じたコニー・セレッカ(Connie Sellecca 1955年~)がとても素敵で、一目惚れしてしまい、(一人勝手に)恋焦がれていたことも、今となっては懐かしい思い出です。


こちらがYoutubeにアップされている「UFO時代のときめき飛行 アメリカン・ヒーロー」のテーマ曲「Believe it or Not」。

この間、ネットオークションで、この「アメリカン・ヒーロー」のDVD-BOX(PART.4)三枚組がとても安価(1500円)で出ていたので、ついポチっと落札してしまいました。さっそく自室のパソコンで観てみたのですが、本当に懐かしい気持ちになりました。ストーリー自体はたわいもないのですが、味があるというか、昔の、良きアメリカの雰囲気がうまく伝わってきます。B級ドラマといわれそうですが、いやいや、なかなかの良作だと思います。

そして昨日、ネットオークションを見ていると、「アメリカンヒーロー ベストセレクション1」が、今度はなんと300円で出品されていたので、またまた落札してしまいました。きちんと全部揃えようとすると、ネット―オークションでも、とても高価となり、まったく手が出ないのですが、こうして分売されているバラものを入手する分には、とても安価ですし、気楽です。このテレビドラマについては、内容や当時の思い出からも、(私の場合)こうして適当に入手して観るのが良いのかなあ、などと思っています。
今回、落札したDVDについても、いつか暇な時にのんびりと観てみようと思っています。
以上、最近入手したDVDの話でした。チャンチャン

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こちらが、私が入手した「アメリカン・ヒーロー」DVD-BOX(PART.4)。ちなみに今回、300円で落札した「アメリカンヒーロー ベストセレクション1」はなんと、未開封の新品でした。


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クアラルンプールへ向かう機内でテレビドラマを観ていたところ、素敵な曲が流れてきました [テレビを観ている]

出張でクアラルンプールへ向かう機内のビデオサービスで、「深夜食堂2」の最終話が放映されていました。以前、家内から、「深夜食堂」という漫画が、今だとLINE漫画で一巻から四巻までを無料で読める事を教えてもらい、とても面白く読んだことを思い出し、さっそく、観てみることにしました。

番組の冒頭、そしてドラマも佳境となり、小さな食堂「めしや」のマスター役の小林薫の渋い演技に見入っている時に、BGMとしてドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti 1685~1757年)の「ソナタ イ長調 K.208」のピアノ演奏が使われていました。カート・ヴォネガット・ジュニア原作の小説を、1972年にジョージ・ロイ・ヒル監督が映画化した「スローターハウス5」の中で流れた、ピアニスト、グレン・グールド(Glenn Gould 1932~1982年)の演奏するバッハのチェンバロ協奏曲第5番の第二楽章が思い出されます。なんという素晴らしいセンスなのでしょう。スカルラッティの少し哀調を含んだ落ち着いた曲調とドラマの雰囲気が見事に合っています。私は夢中になって、聴き入りました。

555曲ものスカルラッティのソナタのうち、私がこれまで聴いた曲はごく僅かですが、その中で、この「ソナタ イ長調 K.208」は私の大好きな曲の一つです。Youtubeでは、オリジナルのチェンバロ演奏以外でも、ピアノ、ギター、ハープといった様々な楽器での演奏がアップされています。この曲が流れたとたん、部屋の空気が一変し、内省的な気持ちになります。是非一度聴いてみて下さい。


こちらは最初にスカルラッティのソナタ全曲の録音を行った夭折のチェンバリスト、スコット・ロスによる演奏。


こちらはギターによる、思い入れたっぷりの演奏。少しやりすぎな感じもしますが、こうした演奏もなかなか良いものです。


こちらはハープによる演奏。


そしてこちらが、ポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュ(Maria João Pires 1944年~)によるピアノ演奏。ブラジルでのライブ演奏とのことですが、これは本当に素晴らしい演奏だと思います。Youtubeには他にも、私にユーラ・ギュラーのベートーヴェンのピアノソナタ演奏やユーリ・エゴロフのことを教えてくれた日本の若手ピアニスト、内藤晃さんの演奏もアップされています。

トムとジェリーのDVDボックスを入手し、観てみました。 [テレビを観ている]

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私は小学校の頃、福岡県に住んでいて、九州朝日放送(KBC)で夕方、繰り返し再放映された「トムとジェリー」をいつも(というか毎日)欠かさず観ていました。当時、何回も再放送されるので、すっかり各回の内容も覚えてしまっていたのですが、それでも飽きずに観ていました。今でも当時、テレビで流されていた日本語のテーマソングは覚えていて、歌う事ができます。

そして、つい先日、新聞の、昔のテレビ番組や映画等のDVDの通信販売の全面広告で「トムとジェリー」のDVD10枚組が(二千円程度で)売られているのを見つけ、懐かしさのあまり、購入してしまいました。パッケージには全77話とありますが、実はもっとありますよね。とはいえ、私は初期のトムとジェリーの絵(ウィリアム・ハンナ、ジョセフ・バーベラ制作)が好きだったので、その時代の作品が、このDVDボックスには収録されていたので、とりあえずは満足です。

さっそく観てみたのですが、本当に懐かしかったです。もうちょっと画像がきれいだったらもっと良かったのにとも思いますが、何と言っても(パブリックドメインとはいえ)この価格ですので、あまり文句は言えないですね。小学校時代の記憶力って凄いです。どの話も今でも覚えていて、最初の絵を観ただけで、どういうお話がすぐに分かってしまいます。それでも最後まで飽きずに見続けるところは、(私も)昔から殆ど変わっていないようです(苦笑)。

ホームセンターや100均ショップとかでも、「トムとジェリー」のDVDは良く売られていますが、結構、欠巻があったりして、こうしてまとめて買おうとすると、こうしたセットの方が楽で、かつ安価だと思います。ただ、もうちょっと画質が良ければ、もっと良かったのになあ・・・

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こちらが今回、入手した「トムとジェリー」10枚組DVDボックス(映像と音の友社)


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入院中の病室のテレビで、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐日本の伝統音楽‐」を観ました [テレビを観ている]

実は、病室にBDプレーヤーを持ち込んで、最初に観たのですが、記事にするのが遅くなっていました。この、「日本の伝統音楽」編は2014年2月に全5回にわたって放映されたものなのですがが、私が録画していたのは1~4回までしかなく、結局、最終回を観ることが出来なかったのは、本当に残念でした。

このシリーズを観て、まず、私が気づいたことは、自分が日本の伝統音楽のことをまったく知らないという事でした。とはいえ聴いていない訳ではありません。例えば、正月になればどこのデパートに行っても雅楽がかかっていますし、能・狂言、歌舞伎といったものは今でも観ようとすれば、いつでも観ることができます。もっと言えば、意識してNHKのテレビやラジオをチェックすれば、もっと日本の伝統音楽を聴く事ができるでしょう。でも、現時点において私にとって「日本の伝統音楽」は未知の異国の音楽です。これは考えてみると、とても不思議でおかしなことです。

もう一つ、今回、観て気づいたというか、学んだことは、日本の伝統音楽がとても魅力的で、奥深い多様性に満ちた音楽世界であるということでした。これはもう、圧倒されるばかりで、例えば能・狂言をとってみても、その総合芸術としての奥深さははかり知れないものがあります。

そして、最後に、私が気づいたことは日本の伝統音楽は西洋の伝統的なクラシック音楽の考え方とは対極にあるものではないかということでした。例えば番組でも紹介していましたが、能管に、わざわざ「喉」といわれる筒を入れ、音程を狂わせ、音色も雑音交じりのもの鋭いものにしたりと、「わざわざ不自由な音にする」行為は伝統的な西洋音楽では考えられないことです。

私にとってクラシック音楽はとても身近かつ馴染んだ音楽です。しかし、日本の伝統音楽には残念ながら、そうした親近感のようなものは感じません。結局、私は西洋的なものの考え方にどっぷり漬かっているということなのでしょう。例えば、ジョン・ケージの「龍安寺」(1985)を聴くと、私はとても「和」を感じます。でも、多分、それは西洋的なものの考え方で「和」を理解しているということなのでしょう。では一体、日本的なものの考え方って一体、どういうものなのでしょうか?

私は、この番組を観て、自身の中に、大きな問題意識というか課題を抱えることとなりました。

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今回、「日本の伝統音楽」編を観ましたので、私は「スコラ 音楽の学校」を全て(2~3回ほど録画していないものがありましたが)観たことになります。本当に素晴らしい企画だったと思います。番組スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。


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ETV特集「忘れられた人々の肖像 ~画家・諏訪敦 “満州難民”を描く~」を観ました [テレビを観ている]

直前の記事で「入院中はテレビは殆どつけない」と言っておきながら、今回はテレビ番組の話です(汗)。昨日、金曜日の深夜に、Eテレで再放送されていたETV特集「忘れられた人々の肖像 ~画家・諏訪敦 “満州難民”を描く~」を観ました。

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亡き祖母の絵を描く諏訪氏

画家の諏訪敦氏については、五年ほど前に放映された日曜美術館「記憶に辿りつく絵画 ~亡き人を描く画家~」(Eテレ)を観て(その時の、私の感想を書いた記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2011-07-07)以来、深い関心を持っていました。今回、また、新たな特集番組が放映されることを偶然知り、慌ててベッド脇のテレビをつけたという訳です。

この冬、祖母の肖像に取り組んだ画家がいる。諏訪敦(すわ・あつし)48歳。祖母は、彼が生まれる20年以上も前の終戦直後に、旧満州、現在の中国東北部で亡くなっていた。31歳の若さだった。そのことを知るきっかけとなったのは、17年前に亡くなった父が最期に残した手記だった。そこには、終戦の年、昭和20(1945)年の春に一家が満蒙開拓団として満州にわたり、3か月あまりでソ連軍の侵攻にあい、逃亡し、たどり着いたハルビンの難民収容所で飢餓と伝染病に苦しんだ惨状がつづられていた。その年の冬、諏訪の祖母と叔父は亡くなった。父の手記は無念と怒りをあらわにして終わっていた。
それまで諏訪にとって、満州のこともそこで亡くなった日本人のことも遠い存在だった。諏訪は画家として、父の無念や怒りを受け止め、「忘れられた人々」のことを絵にしなければと、戦後70年の昨年、動き出す。満蒙開拓団にいた人々を訪ね、話を聞き、父の一家を知る人を探し出し、中国東北部を旅してその足跡をたどった。 なぜ彼らは満州にわたったのか?そこでどんな生活をしたのか?なぜ祖母は死ななければならなかったのか?取材で明らかになった事実をもとに、2か月あまりにわたるキャンバスとの格闘が始まった。諏訪の旅と創作の過程に密着し、祖母の肖像に込めた思いを描く。(以上NHKのHPの番組紹介からの引用)

私は前回同様、夢中になって、この番組を観ました。観終えてから、私が考えたのは、「画家が絵を描く」というのはどういうことなのかという事でした。諏訪敦氏はこの絵で、何を描こうとしたのか、もちろん、それは亡くなった祖母の姿ということになるのですが、インタビューの中で諏訪敦氏は、忘れられた大事なものを絵として遺すことが重要だという趣旨の発言を繰り返します。確かに絵画の一つの目的は「記録」であることは論を俟たないでしょう。ただ、彼の発言の中で大事な部分は「忘れられた」ものの記録というところです。そうした、なくなってしまい、忘れられたものを再構成(諏訪敦氏は発言の中で「召喚」という言葉を使っていました)し、実体化するために、検討し、方法を確立し、そして描くという一連の行為の過程こそが、彼にとっての絵を描くということなんだろうと理解しました。

絵に描かれた対象物は、描かれることにより一つの「存在」となります。そして画家と絵、鑑賞者と絵との間には一つの自他の関係が生まれることとなります。諏訪敦氏は亡くなった祖母の姿を絵に描くことで、祖母をよみがえらせると共に、(完全ではないかもしれませんが)自分と祖母との自他の関係性を取り戻し、確立することとなります。諏訪敦氏がやりたかったことはそういうことではないか、という雑感を私は抱きました。

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「ハルビン 1945年 冬」


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遅ればせながら「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐20世紀の音楽‐」を観終えました [テレビを観ている]

私は先週末から体調を崩してしまい、今週の月曜日はとうとう、会社を休んでしまいました。その日は、熱でボーッとなりながら家にいたのですが、何もしないで寝てばかりというのも、もったいないような気がして、ソファーに寝転びながら、昔、録画しながらまだ観ていなかった番組を観てみることにしました。そして選んだのが2014年3月に放映されたNHKのテレビ番組「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐20世紀の音楽‐」(全三回)です。

20世紀の音楽理論の発展は、「科学(特に数学、統計学)」との接近なしには語ることはできないながらも、一方でストラヴィンスキー、バルトークといった周辺の音楽の取り込み、ジャズやダンスといった「身体性」へのアプローチといった具合に、20世紀の音楽は、ヨーロッパ中心のこれまでの西洋音楽の衰退(当然これには二度の世界大戦が大きく影響しています)と反比例する形で、ますます、その複雑さを増してきているというのが、この番組を通じた主張であるように感じました。

私がこの番組の中で一番感動したのは、ストラヴィンスキーの「火の鳥」や「春の祭典」を、僅かな時間ではありましたが、バレエの映像と共に観た時でした。これまで音楽のみで聴いてはいたものの、こうしてバレエの映像と共に観たのは初めてで、その総合芸術としての素晴らしさには圧倒されました。今度、是非DVDを借りて観てみようと思った次第です。

どんな音楽であれ、人間の心を動かさない音楽は次第に忘れ去られていきます。複雑で、多種多様な20世紀の音楽の中にも多くの、人の心を動かす音楽があると思います。私はこれから、そういう心動く20世紀の音楽を発見し、主体的に聴いていきたいと思います。つまるところ、音楽理論と実際の音楽の質はまったく別次元のものです。私はこの番組を観て、「音楽」って一体、なんなんだろうという根本的な問いを深く自分の中に抱えることとなりました。

二年がかりで、やっと観た「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐20世紀の音楽‐」でしたが、とても面白かったです。

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あと、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」で、私が観ていないのは「日本の伝統音楽編」のみとなります。録画はしているので今度、機会を見つけてじっくり観てみたいと思っています。


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iPad AirのCMを観て [テレビを観ている]

昨日、ぼんやりとテレビを観ていたら、iPad AirのCMに、フィンランドの指揮者でもあり、また現代作曲家としても知られるエサ=ペッカ・サロネン(Esa-Pekka Salonen, 1958年~)が出演していて、とてもびっくりしました。以前も紹介しましたが(http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2013-11-26)、彼が2009年に作曲したヴァイオリン協奏曲はヴァイオリニストにとっては難曲として知られている曲ですが、スピード感に溢れたとても現代的な曲です。このCMでもこのヴァイオリン協奏曲のフレーズの一部を聴くことができます。

すっかり興奮してしまい、一緒に観ていた次女に「この人はサロネンといって、とても有名な…」と説明したのですが、あまりピンと来ていない様子でした(泣)。でも、こういったCMで現代音楽に興味を持ってくれたら本当に嬉しいですね。現在、特集ページが、Apple公式ページとiTunes Storeにあり(https://www.apple.com/jp/your-verse/orchestrating-sound/)、件のヴァイオリン協奏曲はiTunes Storeから無料でダウンロードできるようですし、公式ページでは彼自身が語る、音楽そして作曲に対する考え方等も知ることができます。

是非、一度、観て、そして聴いてみてください。本当に刺激的な体験を得ることができますよ。

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「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐電子音楽‐」を観終えました [テレビを観ている]

今週の水曜日の深夜に、自宅で録画していた「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐電子音楽‐」を観終えました。

20世紀に入り、テクノロジーの発達により、それまでアコースティックなものだった「音」は電気(波形)化され、我々は音そのものを直接操作できる時代を迎えることとなります。それは音楽のあらゆる可能性を拡げることとなりましたが、結果的には、これまで、旧来の西洋音楽の歴史的な流れを、むしろ袋小路(例えばミニマムミュージック等)に追い込むことになってしまっているのではないか? 本番組はそんな問題提起を行っているのではないかと思いました。

坂本氏は番組内で、こうした電子音楽のテクノロジー面での進歩が、ロックやポップスといった大衆音楽、商業音楽の発展には大きく寄与したものの、西洋音楽の進化という点では、少々疑問を呈さざるを得ない旨の発言をしていたかと思います。これまで、音楽、特に西洋音楽の発展は、テクノロジーの発達と表裏一体の関係にありました、ただ、20世紀後半以降の電子音楽の進化は、既に人間の処理能力を超えてしまっていて、コンピューター(演算装置)なしには、これを制御することが出来ない状況に陥っています。そうした中、芸術として音楽はどうあるべきかということは、アーティストにとって改めて本質的な課題となっています。

番組では最終回(第四回)においては録音と再生という、再生芸術の時代を迎えた現代における「音楽」とは一体どういうものなのかという、問いかけを行っています。絵画における画家とモデルの関係を更にもう一ひねりも二ひねりも複雑にしたような、この難しい課題に対して、現代音楽家たちは今後、どのように立ち向かっていくのか、私の興味はつきません。

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写真はいずれも「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐電子音楽‐」より。下は番組内(第2回)で行った坂本龍一氏とOpen Reel Ensembleのパフォーマンスの様子。

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「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐オーケストラ‐」を観終えました [テレビを観ている]

シーズン4の放映が既に始まったことから、慌てて、以前、録画していたシーズン3を観ているのですが、先日、オーケストラ編を観終えました。録画ミスで、第一回目の放映がうまくとれておらず、三回の放映のうち、二回目、三回目のみを観ました。

私がとても興味を持ったのは、当初は王や貴族のためだけだった音楽が次第に市民のためのものとなっていく中、一度に多くの聴衆が音楽を楽しめるよう、専用の音楽ホールが整備され始め、オーケストラが発展してきたこと。その背景には楽器の性能強化(音量のアップ、ピッチ調整機能の向上)が大きく寄与していることでした。産業革命とそれに伴う市民の台頭こそ、オーケストラを発展させるキードライバーであったという訳です。

そして現代、「個」の時代におけるオーケストラは、テリーライリーの「In C」や「オーケストラFUKUSHIMA!」のように、偶然性と即興性を持ち込むことによって、身体性を取り戻そうとしている…といったところでしょうか。

とはいえ、どの時代であろうとも変わらないオーケストラの魅力、それは「合奏の歓び」ではないかと思います。これがあるからこそ、オーケストラは、その輝きを決して失うことはないのでしょう。

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写真は「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ‐オーケストラ‐」(Eテレ)

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今年のスーパーボールのハーフタイムショーを観て [テレビを観ている]

昨日行われたNFLスーパーボールのハーフタイムショーが素晴らしかったという話を聞き、さっそく観てみました。

いやあ、これは本当に良いですね。ブルーノ・マース(Bruno Mars)が私の好きなポップシンガーであることも理由の一つなのですが、一つのショーとして観ても、とても完成度が高いと思います。何と言えば良いのか、観ている人を元気にさせるというか、ほんとっ、こうでなくっちゃと思わせる、素晴らしいライブです。

そのステージは「過去20年で最高のハーフタイムショー」と、ネット上で称賛されている
(以上「RoketNews 24」の記事からの引用)

とのことですが、頷けます。是非観てみて下さい。
観てよかったと思わせる、いかにもアメリカらしい、素晴らしいハーフタイムショーだと思います。


動画はYoutubeにアップされた「スーパーボウル2014」ハーフタイムショー。最近、歳をとって、何かと涙もろくなってしまっているのか、私はこの動画を観ていて、涙が出てしまいました。


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