So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
本を読んでいる ブログトップ
前の10件 | -

パク・ミンギュの「ピンポン」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日から出張でニューヨークに来ています。今回、ニューヨークには10日間ほど滞在する予定です。ニューヨーク出張の話はまたの機会にするとして(この記事はNYのホテルの部屋で書いています)、今回は、最近、読んだ本の話です。

先日、移動中の電車の中で韓国人作家パク・ミンギュ(Park Min-gyu 1968年〜)が2006年に発表した小説「ピンポン」を読み終えました。この本は以前、彼の短編小説集「カステラ」を読み(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2018-06-06、他の著作も読んでみようと図書館から借りてきたものです。内容は、

原っぱのど真ん中に卓球台があった。どういうわけか、あった。僕は毎日、中学校でいじめられている。あだ名は「釘」。いじめっ子の「チス」に殴られている様子は、まるで釘を打っているみたいに見えるからだ。スプーン曲げができる「モアイ」もいっしょにいじめられている。モアイと僕はほとんど話したことがない。僕らは原っぱの卓球台で卓球をするようになる。空から、ハレー彗星ではなく、巨大なピンポン球が下降してきた。それが原っぱに着床すると激震し、地球が巨大な卓球界になってしまう。そして、スキナー・ボックスで育成された「ネズミ」と「鳥」との試合の勝利者に、人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのか、選択権があるという…。(以上、Amazon「商品の説明」の、内容紹介「BOOK」データベースからのの紹介文の引用)

というものですが、とても面白く読むことができました。「カステラ」を読んだときにも同じことを書きましたが、システムから疎外された主人公の苦難を書きながら、決してその結末は暗くなく、明るく、そしてポップに描き切っているところが、とても現代的だと感じました。

この人の作品はとても読みやすいです。もちろん原作の良さもあるのでしょうが、多分、翻訳が素晴らしいのだと思います。実際、訳者の斎藤真理子さんは「カステラ」で第1回日本翻訳大賞を受賞されています。こうした優れた訳者の丁寧な仕事によって、次々と海外の素晴らしい小説に触れることができることは本当にうれしいことです。

また、機会を見つけてパク・ミンギュ、そして他の韓国人作家の作品もも読んでみようと思います。私の韓国文学へのアプローチは今、始まったばかりです。

514tA0E4JUL.jpg
パク・ミンギュ「ピンポン」(白水社)。私は、帯で推薦している松田青子さんのことを知らず、どういう方なんだろうと調べてみたところ、翻訳家、小説家、童話作家、元女優という、マルチな才能に溢れた有名な人なのですね。Wikipediaによると、「松田青子というペンネームにしたのは、本人が松田聖子にあこがれていて、読者が「まつだ せいこ」と読み間違えたら面白いと考えたためである」(以上、Wikipediaの解説文からの引用)とのこと。とても魅力的な方のようです。機会があったら彼女の作品も読んでみようと思った次第です。


共通テーマ:日記・雑感

パク・ミンギュの「カステラ」を読み終えました [本を読んでいる]

一昨日、移動中の電車の中で韓国人作家パク・ミンギュ(Park Min-gyu 1968年〜)の短編小説集「カステラ」を読み終えました。この本は以前、新聞の書評を読んで興味を持ち、図書館で貸出予約をしていたものです。

現代韓国文学の人気作家・パク・ミンギュのロングセラー短編小説集。洒脱な筆致とユーモアあふれる文体で、主人公の若者たちを取り巻く「就職難」「格差社会」「貧困の様相」etcを描きながら、彼ら彼女たちに向ける眼差しを通して、人間存在への確かな信頼感に溢れるチャーミングな短編集。日本語版には「朝の門」(2010年、李箱文学賞〔日本の芥川賞と並び称される〕受賞作)を特別収録。
(以上、Amazonにおける「内容紹介」からの引用)

私にとっては、初めての韓国人作家の小説となります。どんな作品なんだろうと興味津々で読み始めたのですが、すっかり夢中になって読み終えました。高橋 源一郎(1951年~ )の初期の小説と少し雰囲気が似ているように感じました。訳者あとがきによると彼の小説は、

一連の出来事に直面する個人の心理と、それがもたらす行為に着目している。彼の作品の登場人物は、ほとんどが資本主義社会の論理によって傷つけられ、そのシステムから疎外されている人たちである。
(以上、「カステラ」訳者あとがきからの引用です)

とのことですが、この短編小説集はその通りでして、システムから疎外された様々な人々(その殆どが若者)の苦難を書きながら、決してその結末は暗くなく、明るく、そしてポップに描き切っているところが、とても現代的だと感じました。それぞれの作品はとてもユニークで読んでて飽きさせません。特に表題作の「カステラ」、そして「ヘッドロック」あたりはとてもポップで素晴らしい作品だと思いました。また本書に特別収録された「朝の門」は、短編集の作品群とは少し趣きが異なるものの、素晴らしいもので、彼の豊かな文学的才能を感じ取ることができました。

作者のパク・ミンギュは2015年にデビュー作でもある長編『三美(サムミ)スーパースターズの最後のファンクラブ』(以下、『三美スーパースターズ』)と短編『昼寝』の盗作事実を認めて話題になった作家でもありますが、この短編集においては、彼の文学的才能を十分、感じ取ることができました。(ただ、作品の中での、一部、村上春樹ばりの誇張された比喩表現には少し閉口しましたが…)

今度は彼の代表作である「ピンポン」も読んでみようと思います。私にとって初めての韓国現代文学でしたがとても楽しい読書体験を得ることができました。台湾といい韓国といい、素晴らしい作家がいるのですね。勉強になりました。

61TAdWQoeJL.jpg
パク・ミンギュ「カステラ」。そういえば、私が大好きな台湾の現代作家、甘耀明(カン・ヤオミン Yao Ming Kan 1972年~)の新刊「冬将軍が来た夏」の邦訳がが6月19日に出版されます。紀伊国屋書店のHPによれば、「レイプ事件で深く傷ついた私のもとに、突然現れた終活中の祖母と5人の老女。台中を舞台に繰り広げられる、ひと夏の愛と再生の物語。レイプ事件で深く傷ついた私のもとに、突然あらわれた終活中の祖母と5人の老女。台中を舞台に繰り広げられる、ひと夏の愛と再生の物語。」(以上、紀伊國屋書店HP「出版社内容情報」からの引用)とのこと。こちらも本当に楽しみです。

ちなみに過去の甘耀明の作品を読んだときの記事はこちらです。もし、良かったら読んでみてください。
「週末、日曜日の朝に自宅で甘耀明の「鬼殺し」を飲み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-10-11
「通勤電車内で甘耀明の「神秘列車」を飲み終えました」
 →http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-10-24


共通テーマ:日記・雑感

津島佑子の「火の山ー山猿記」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日、移動中の電車の中で津島佑子著「火の山ー山猿記」を読み終えました。この本は文庫本ですと上下巻、合わせて1200頁を超える長編小説です。以前にも書きましたが、今年に入ってから、私は漫画ばかり読んでいて。小説に接しない日々が続いていました(そのことを書いた記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2018-04-06。久しぶりに小説を読もうと思いたち、以前、帰省したときに母が、この本を薦めていたことを思い出して、図書館から借りて読んでみたという訳です。

火の山――とは富士山のこと。その富士山に寄り添いながら生きた有森家の変遷史。誕生と死、愛と結婚の型。戦中戦後を生きた人たちを描きながら、日本の近代を見つめ直した傑作長編小説。第51回野間文芸賞、第34回谷崎潤一郎賞受賞作。
(以上、Amazonの本書内容紹介文からの引用)

私はにとっては本当に久しぶりの日本文学であり、また、昨年10月に読んだ台湾の小説家、甘耀明の「神秘列車」以来の読書体験となります。

これは素晴らしい小説です。私はそれこそ夢中になって、この小説を読みました。私にとってこの小説はまさしく、様々な「女の一生」の物語であり、そして「死」の小説でした。特に下巻の、主人公勇太郎の姉、桜子の物語(特に夢の物語)は心を打たれました。ハンカチなしには読めなくなってしまい、通勤の満員電車の中で読み進めるのに苦労しました。

なんといえば良いのか、私はこの小説の時代背景、また、登場人物の年齢もあってか、まるで私の母の物語であるかように思えてなりませんでした。母は昭和9年生まれ(調節登場人物たちよりか若いことになります)、祖父(母にとっては父)が朝鮮、ピョンヤンで刑務所長をしていたため幼少期をピョンヤンで過ごし、戦後、一家は命からがら日本に引き揚げてきました。そういう点では、この小説の登場人物とは全く状況は異なるのですが、なんといっていいのか、何かとても似ている気がしてならなかったのです。それは戦前、戦中の時代、社会の雰囲気、当時の市井の人々のものの考え方といったものが共通していたからかも知れません。

そういえば、私の母は以前、自分のピョンヤンでの日々や引揚げ時の苦労を書き留めています。また、母の手記を今度、帰省した時にでももう一度読んでみようなどと思いました。

実は、最近は日本文学をほとんど読んでいなかったですが、今回、これだけの筆力を持った作家が日本にも居たのかと瞠目するとともに、自らの無知と傲慢さを恥じた次第です。津島佑子(1947~2016年)は小説家太宰治と津島美知子の次女。この小説においても太宰治がモデルと思われる登場人物が出てきます。そして、同じく登場人物の由紀子は津島佑子本人かと思われます。

有森家の人たちの様々な人生、生きざまと、悠々たる富士山(火の山)や甲府盆地を囲む山々の自然の描写の対比がとても効果的で、この小説の価値を更に高めています。本当に良い小説でした。

51FERZM9G7L.jpg51VM17M8Q1L.jpg
こちらが津島佑子著火の山ー山猿記(上・下) (講談社文庫)。帯で紹介されている「純情きらり」は私は観ていませんが、原作とはかなり趣が異なるとのことですので、余り観たいとは思いません。


共通テーマ:日記・雑感

通勤電車内で甘耀明の「神秘列車」を飲み終えました [本を読んでいる]

先日、通勤電車内で甘耀明の「神秘列車」を飲み終えました。甘耀明(カン・ヤオミン Yao Ming Kan 1972年~)は台湾・苗栗県生まれ、客家出身の現代小説家です。以前 彼が2009年に発表した長編小説「鬼殺し」(原題「殺鬼」)を読み、その素晴らしさにすっかり魅了され(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-10-11、さっそく、日本で出版されているもう一冊の短編小説集である本書を読んでみたという訳です。

この作品集は、「「鬼殺し」の前後に書かれた短編を集めたもの」(訳者、白水紀子氏による「解説」から引用)で、2003年に台湾で刊行された同名の、11篇からなる短編集「神秘列車」(原題「神秘列車」)から「神秘列車」と「伯公、妾を娶る」の2篇、2010年に同じく台湾で刊行された「葬儀でのお話」(原題「喪禮上的故事」)からプロローグ及び最初の2話、そして2015年に刊行された長編小説「アミ族の娘」(原題「邦查女孩」)から独立した短編としても読める「鹿を殺す」が収録されています。
(この文章は同じく本書の訳者、白水紀子氏による「解説」を全面的に参考にし、一部引用しています)

これらの作品はいずれも同じ作者が書いたとは思えないほど、スタイル(作風)が異なるものながら、どれも作者の見事な文学的センスをひしひしと感じさせるものです。このうち「伯公、妾を娶る」については作品の舞台、登場人物等、「鬼殺し」との高い共通性が見られるもので、「葬儀でのお話」や「鹿を殺す」と同様、ポスト郷土文学作家と評される甘耀明の見事な才能の一端を感じられるものとなっています。

「神秘列車」は「祖父から少年へ、歴史記憶の継承というテーマを家族の愛の物語として描いた秀作」(訳者、白水紀子氏による「解説」から引用)で甘耀明の初期の代表作と評される、初々しさに溢れた作品で、なんとも清々しい読後感を得ることができました。

こうして彼の作品を読んでみると、その多様性に驚きながらも「家族」そして「歴史」がとても重要なキーワードであることに気づかされます。最新の長編である「アミ族の娘」の白水紀子氏による全訳が待たれます。アジアのガルシア・マルケス、ひいては将来のノーベル賞作家とも思われる彼の作品を私はこれからも続けて読んでみたいと切に思った次第です。

51Z2bLJzWJL.jpg
甘耀明「神秘列車」(白水社エクス・リブリス)


共通テーマ:日記・雑感

通勤電車の中で「小川未明童話集」を読み終えました。 [本を読んでいる]

少し前の話になってしまって恐縮ですが、先週、「小川未明童話集」(新潮文庫)を読み終えました。私が読んだ本は先々週の週末に、自宅近くの古本屋さんで店先の棚に百円で投げ売りされていたものです。ちょうど、甘耀明の「鬼殺し」(上・下巻)を飲み終えたばかりで(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2017-10-11、その影響もあってか、何となく日本の民話を読みたい気分になっていたことと、幼いころに「赤いろうそくと人魚」を読んで、とても印象深かった思い出があるにもかかわらず、あらすじをすっかり忘れていることに気付いたことが手に取るきっかけとなりました。

少し、話題は逸れますがこの古本屋さん(「Tweed Books」)は、2015年の夏に開店したばかりという、国内外の文学書、哲学書、芸術書、音楽やファッション関係の書籍が特に充実した、とてもおしゃれで品の良い雰囲気の、私のお気に入りのお店です。ただ、私は経済的な理由及び所蔵スペースの問題から、いつもは図書館で本を借りて読むようにしているので、なかなか本を買う事はありません。応援したいと思いながらも、行っては眺めるだけで、いつも申し訳ない気がしていました。そんな中、今回は文庫本でかつ百円だったので、つい買ってみたという次第です。

小川未明の童話を読むのは、それこそ50年ぶり近くになるのではないでしょうか?読んで、最初に感じたことは、なんて美しい日本語の文章なんだろうという感嘆でした。私は、それこそ一気に読み、そしてすぐにもう一度読み返したいと思いました。どのお話も単純なハッピーエンドではなく、含蓄があり、読後に深い余韻を残すものばかりです。これは宮沢賢治と同様、大人こそが味わうべき童話です。本当に素敵な読書体験を得ることができました。

51SB1G7CVZL.jpg
「小川未明童話集」(新潮文庫)。私が入手したのは表示されている定価も100円の、とても古い本でした。


共通テーマ:日記・雑感

新聞夕刊のコラムを読んで、とても感心しました [本を読んでいる]

私は日本経済新聞の夕刊(一面)に掲載されている「あすへの話題」を読むのを楽しみにしているのですが、10月7日の龍谷大学農学部教授 伏木 亨(ふしき とおる 1953年~)氏のコラム(「老人を育てる」)には、(内容の面白さに思わず笑ってしまいながらも)とても感心しました。本当は全文を紹介したいところですが、一部だけ紹介しますと、

反応の鈍さと判断の遅さは老人の武器である。反応の鈍さをひとは重厚と感じる。決断の遅さは深い思慮を漂わせる。(以上、日本経済新聞2017年10月7日夕刊「あすへの話題」からの引用)

といった具合で、自らを老人として自覚した上での、自戒を込めた、示唆とユーモアに溢れた文章には、思わず瞠目した次第です。こんな見事な文章を書く伏木氏は、さぞかし魅力的な方なんだろうなあと思います。食品化学者としての著作も沢山あるようなので、今度、読んでみようと思った次第です。

DSC_2005.JPG
こちらがその記事。写真を左クリックして頂ければ拡大して観ることができます。

81YXHlX2Y9L.jpg
伏木 亨「コクと旨味の秘密」(新潮新書)。面白そうだったので、先ほど図書館の貸出予約をした所です。

(2017年10月17日追記)
さっそく、図書館から伏木 亨著「コクと旨味の秘密」(新潮新書)を借りて読んだのですが、科学的なアプローチで「コク」とは何かということを易しく解説した良書でして、久々に知的好奇心が刺激され、とても楽しい読書体験を得ることができました。食品科学者としての単なる科学的分析に留まらず、文化論にまで展開されているところが素晴らしいです。新書で、とても読みやすいことも特筆すべき事ですね。これからも機会を見つけて伏木氏の他の著作を読んでみようと思いました。


共通テーマ:日記・雑感

週末、日曜日の朝に自宅で甘耀明の「鬼殺し」を飲み終えました [本を読んでいる]

先週末の三連休の日曜日の朝、自宅で甘耀明の「鬼殺し(上・下巻)」(原題「殺鬼」)を飲み終えました。甘耀明(カン・ヤオミン Yao Ming Kan 1972年~)は台湾・苗栗県生まれ、客家出身の作家で、私にとっては呉明益の「歩道橋の魔術師」(原題「天橋上的魔術師」)に続く(この作品を読んだ時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-07-04、台湾の現代小説家による作品となります。この作品は、

「鬼殺し」は、一九四一年十二月の太平洋戦争勃発から一九四七年の二・二八事件までを背景に、日本統治時期から戦後に至る台湾の複雑な歴史に翻弄されながらも、たくましく生き抜いた客家の少年とその祖父の物語である。
「鬼殺し」はマジックリアリズムの手法を用い、台湾の歴史と民衆の歴史記憶とを甘耀明の豊かな想像力で融合させた密度の高い物語である。
(以上「鬼殺し」下巻、訳者白水紀子の「解説」冒頭文からの引用)

でして、まさしく、東南アジアのガルシア・マルケスとも言えるような濃密な小説世界に魅了されました。ご存じのようにマジックリアリズム(魔術的現実主義)とは、

日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法で、主に小説や美術に見られる。幻想的リアリズムと呼ばれることもある。ジークムント・フロイトの精神分析や無意識とは関わらず、伝承や神話、非合理などといったあくまで非現実的なものとの融合を取っている手法である。
(以上「Wikipedia」の「マジックリアリズム」解説文からの引用)

で、読み手にとっては想像力をかきたてられ、読書の楽しみを存分に味わうことができる優れた小説技法かと思います。イタリアのイタロ・カルヴィーノ、ポルトガルのジョゼ・サラマーゴ、モロッコのタハール・ベン=ジェルーン、そしてアルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘス、コロンビアのガルシア・マルケスといったように私の大好きな作家はマジックリアリズム作家が特に多いです。この甘耀明の作品においても鬼と人間との関係を中心に、日本人、華人、台湾の原住民の歴史、言語、風俗、宗教が絡み合いながら、独特かつ見事な小説世界が作りあげられています。また一方で、この台湾に生まれた客家の一少年のアイデンティティーの確立、成長の物語でもあり、教養小説の趣きもそなえています。上下巻にわたる長編小説なのですが、私は飽くことなく、一気に読みました。まさしく骨太という言葉がぴったりの、見事な小説でした。台湾には多くの素晴らしい作家がいるのですね。もし、まだ読んでいらっしゃらないようでしたら、是非一度手にとってみてください。読みだしたとたん、頁をめくる手を止めることはもうできませんよ。

51mK47YIEDL.jpg

51e6JJx0DAL.jpg
甘耀明「鬼殺し(上・下巻)」(白水社エクス・リブリス)。それにしても作者の「日本」に対する知識の深さには驚嘆させられます。尚、本記事に出てくる漢民族の一派である「客家(はっか)」について興味のある方はWikipediaの以下の項目
「客家」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
「客家人の一覧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
等を参照下さい。
また、私は以前、マレーシアに出張した時に、客家料理を食べたことがあります。その時の記事は以下となります。
http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-10-01


共通テーマ:日記・雑感

先週の金曜日にアンソニー・ドーアの「すべての見えない光」を読み終えました [本を読んでいる]

先週の金曜日に、アメリカ、オハイオ州出身の小説家、アンソニー・ドーア(Anthony Doerr 1973年~)が2014年に発表した小説「すべての見えない光」(原題「All the Light We Cannot See」)を読み終えました。この小説は

ラジオから聞こえる懐かしい声が、若いドイツ兵と盲目の少女の心をつなぐ。ピュリツァー賞受賞作。孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド――。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描く感動巨篇。(以上Amazon.co.jp「内容紹介」からの引用)

というものです。

これは見事な小説です。第二次世界大戦時代のヨーロッパを舞台に、孤児院の幼い兄妹が偶然捉えたフランスからの謎の短波ラジオ放送、フランスの博物館に眠る伝説の宝石、主人公の友人が愛する鳥の図鑑といった様々な伏線が絡まりながら、物語は語られていきます。ラストに向けてそれらが収斂していく様は、本当に驚くべきほどで、この小説家の素晴らしい力量を実感することとなったのですが、気になったのは、余りにもまとまりすぎているというか見事すぎて、逆に小説が本来の持つパッションというか、根源的な力を削ぐ結果になっているような感じがしたことです。多分、二人の主人公の十代のころがメインとなっていること(ある意味、それはとてもステレオタイプな印象を与えます)も関係しているのでしょう。とても意地悪な言い方をすれば、この小説は余りにもテクニックというか、技法が素晴らしすぎるのです。

とはいえ、私はこの本を、それこそ夢中になって読みました。テーマがテーマだけに、以前、ジョナサン・リテル(Jonathan Littell, 1967年~ )の「慈しみの女神たち」を読んだ時のような(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2012-08-27圧倒的な読後感を期待した私が余りにもあまのじゃくなのでしょう。この本は、ほんのちょっとだけ私の好みではなかったというだけのことかと思います(実際、Amazonのレビューではほぼ全て絶賛の嵐です)。ごめんなさい。これは私自身の個人的な感想です。あまり参考になさらないで下さいね。

51T+FRteMhL.jpg
アンソニー・ドーア「すべての見えない光」(新潮クエスト・ブックス)


共通テーマ:日記・雑感

昔、読んだ本の中で特に印象に残っている表紙や挿絵について [本を読んでいる]

前の記事で、エドワード・ケアリーの「堆塵館」を読み、著者自身が書いた表紙のイラスト・挿絵がとても印象的だったことを書きましたが、私がこれまで読んだ本の中で特に印象に残っている本の表紙、挿絵といえば、何と言っても創元SF文庫のエドガー・ライス・バローズ(Edgar Rice Burroughs 1875~1950年)の「火星のプリンセス」に始まる火星シリーズやポプラ社の江戸川乱歩(1894年~1965年)「少年探偵」シリーズにおける武部本一郎氏(1914~1980年)によるものです。

51AST11K65L.jpg
こちらは創元SF文庫「火星のプリンセス」表紙

私が「火星のプリンセス」シリーズを読んだのは確か中学生のときだった(比較的遅くになって、私はこの本を読みました)かと思うのですが、表紙そして挿絵に描かれた火星の美女たちの色気には、少年ながらにも本当にドキドキしたものです(遠い目)。特に表紙に描かれた火星の絶世の美女デジャー・ソリスには心を奪われました。私の理想の女性像はほぼ、この物語とイラストで形成されたといっても過言ではありません。

他に忘れられない本の表紙、挿絵といえば、同じく創元SF文庫のエドワード・エルマー・スミス(Edward Elmer Smith 1890~1965年)の「銀河パトロール隊」から始まるレンズマン・シリーズ、そして、こちらはたしか新潮文庫だったかと思うのですが、星新一(1926~1997年)のショートショート作品集における真鍋博氏(1932~2000)のものが挙げられます。どちらも小学生高学年の時に読んだのですが、これらのイラスト、挿絵の独特の軽妙さと未来性には魅了されました。

71WwnjzGWlL.jpg
そしてこちらは同じく創元SF文庫レンズマンシリーズ③「第二段階レンズマン」の表紙です。

「火星シリーズ」「レンズマン・シリーズ」共に、スペースオペラ(注)の不朽の名作ですね。少年時代に、こうした作品を夢中になって読み、そして、これらの素晴らしいイラストと挿絵に触れることができたことは、私にとって、とても大切な思い出の一つです。

(注)サイエンス・フィクション (SF)のサブジャンルの一つ。主に(あるいは全体が)宇宙空間で繰り広げられる騎士道物語的な宇宙活劇(以上Wikipedia「スペースオペラ」の解説文からの引用)


共通テーマ:日記・雑感

エドワード・ケアリーの「堆塵館」を読み終えました [本を読んでいる]

先週、昼休み中の会社の執務室で、エドワード・ケアリー(Edward Carey 1970年~)の「堆塵館」(原題「HEAP HOUSE」)を読み終えました。これはアイアマンガー三部作の第一部にあたり、

十九世紀後半、ロンドンの外れに巨大なごみ捨て場があった。幾重にも重なる山のその中心には『堆塵館』という、ロンドンの不用なごみの寄せ集めでできた巨大な屋敷があり、ごみから財を築いたアイアマンガー一族が住んでいた。一族の者は、生まれると必ず「誕生の品」を与えられ、その品を一生涯肌身離さず持っていなければならなかった。十五歳のクロッド・アイアマンガーは誕生の品の声を聞くことができる一風変わった少年だった。
一方、十六歳の孤児のルーシー・ペナントは、召使いとして堆塵館に入り、館の風変わりな伝統と習慣を教えられ、暖炉掃除係として働くことになる。そしてある夜クロッドと出会ったことで、一族の運命が大きく変わっていく……。
(以上、「Amazon」の「内容紹介」からの引用です)

という、十代の少年少女向けに書かれた物語です。

この物語における、奇想天外な独特の世界観と不気味ともいえる登場人物の多彩さは、この本の最大の魅力となっています。また、著者自身が描いた、非常に味のある、一風変わったな表紙のイラストと挿絵はそうした魅力を更に際立たせています。この本(第一部)のラストは余りにも衝撃的というかびっくりするもので、その後の展開が本当に気になります。

今後、機会を見つけて、続編(「穢れの町」)も読んでみようと思います。ただ、これは小説(文学)というより、あくまでも物語でして、ストーリーが全てといった感じですね。その点で、私にとっては必読というより、むしろ余裕(時間)があるときに読むような本ということになりそうです。

81Fahegd3IL.jpg
エドワード・ケアリー「堆塵館」(東京創元社)


共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - 本を読んでいる ブログトップ