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職場が赤坂から豊洲に変わりました [考えている]

普段の怠け癖が再発し、ブログの更新が一ヶ月近く滞ってしまいました。言い訳になってしまいますが、4月は年度初めの月ということもあり、仕事や宴席に追われてバタバタとした毎日を過ごしてしまいました。5月に入り、ゴールデンウィークもあけ、やっと普段の日常に戻りつつあります。そんな中、今週から私の職場が東京の赤坂から豊洲に変わりました。

といっても、会社や所属部門が変わったということではありません。私の自宅は横浜にありますので、通勤時間が少々(というか、かなり)長くなった程度で、さほど大きな変化はありません。これまでは高層ビルの21階でしたが、今度は9階建のビルの最上階、ちょうど角部屋となります。私の部屋からは、近くを流れる運河を望むことができます。問題は近くに美味しいお店が見当たらないことですが、私の場合はなるべく弁当を持参するようにしているので、なんとか大丈夫かと思われます。

家族や職場のみんなからは「都落ち」などと同情されるのですが、私は逆に、心機一転頑張るぞー、なんて前向きに受け止めています。気分転換になって、ちょっと新鮮な気持ちになっているところです。

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こちらが新しい職場。これまでと違い、駅から少し歩かなければならず、雨の日等は閉口します。


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長女が大学を卒業しました。 [考えている]

3月26日に長女が通っていた大学の卒業式があり、家内と共に参列しました。いつもは大学内の施設(日吉記念館)で行われるそうですが、ちょうど建て替え工事中とのことで、今年はパシフィコ横浜で行われました。私たちは卒業生の会場とは別に設けられた家族会場で、スクリーンを通じて式の様子を眺めました。

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こちらは会場近くの広場の様子。この写真は卒業式の前に撮ったので人は少なかったのですが、卒業式の後は、写真を撮りあう卒業生たちで、いっぱいになりました。

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こちらが私に配られた家族会場への入場券。

娘の卒業式というのは、何とも感慨深いものです。まあ、色々な事がありましたが、なんとか(娘を)育て上げたということだよなと自らを慰めた次第です。来年は次女も大学を卒業します。こうして子供たちが巣立っていくのは、なんとも嬉しいような、寂しいような、ホッとするような(これが一番かも?)複雑な想いです。

その長女も、4月から会社勤めを始めています。まだ社内研修中ですが、毎日、朝、定時に起きて会社に出勤するという、(会社勤め30年を超えた)私にとっては当たり前のことでも、慣れるまでは大変な様子です。なんとも微笑ましいものです。親としては、娘がうまく会社に馴染んで、楽しく、そして有意義な会社生活を送ってくれればと願うばかりです。


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地下鉄での忘れ物を取りに東京メトロ飯田橋駅のお忘れ物総合取扱所に行ってきました [考えている]

昨年末からバタバタとした毎日が続いていたこともあって、すっかりブログの更新を怠ってしまっていました。この記事が、なんと二か月ぶりのブログの更新となります。書きたいことは沢山あるので(今回、これから記事にしたい項目を挙げたところ、20を優に超えました)、これからコツコツと記事をアップしていこうと考えています。今後とも宜しくお願い致します。

本来でしたら、前回の記事(「10月末から二週間ほど、香港・バンコク・シンガポールに出張しました (1)」)の続き、バンコク編を書くところなのですが、今回は私のウォーミングアップも兼ねて(すいません)、最近経験した小さな出来事を紹介することとします。

2月下旬、夜の宴席で泥酔してしまった私は、大誕生日のプレゼントで貰い、大切にしていたマフラーを千代田線の車内に置きっぱなしにして失くしてしまいました。翌日、慌てて問い合わせたところ、それらしいものが代々木上原駅で拾得されているとのこと。時間の関係で、その日には取りに行けない事を伝えると、東京メトロ飯田橋駅のお忘れ物総合取扱所に取りに行くよう案内されました。

その翌日、会社のお昼休みに、さっそく飯田橋駅のお忘れ物総合取扱所に取りに行き、無事、忘れ物を回収、係員の方にお礼を申し上げていると、係員の方から「では、帰りの乗車券をお渡ししますね」との思いがけない言葉を頂きました。東京メトロでは落し物を取りに来た人の帰りの電車賃(地下鉄)を負担してくれるのです。貰ったのは「遺失物引取乗車証」でして、無事に職場近くの駅まで無料で帰ることができました。

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こちらが、その時に貰った「遺失物引取乗車証」

こういう、思いもかけない心遣いはとても嬉しかったですし、感謝した次第です。なんだか気分も晴れ、「午後から、仕事頑張るぞー」なんて気合が入りました。東京メトロさん、本当にご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました。


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遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます [考えている]

皆さま、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。実はこのブログ、昨年の11月あたりから、私の怠惰癖に加え、バタバタしていたこともあって、更新が途切れがちとなっておりました。2009年からこのブログを始め、今年で9年目を迎えます。年も明けたことですし、心機一転、これから本格的に再開しようと思います。どのような方が、このブログを観て下さっているのか想像もつきませんが、宜しくお願い致します。

さっそく、今後、ブログに載せるトピックを考えてみたところ、旅行、音楽、漫画ネタや自身の体調、健康のことなど、軽く15を越えるほどが挙がりました。昨年の話なども多いのですが、順次、記事にしていこうと考えています。

今年は長女の大学卒業(就職)、次女の就職活動と、家の方もバタバタしそうです。落ち着いて着実に日々を過ごして行ければと願う次第です。

皆さま、宜しくお願い致します。


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母校が甲子園に出場しました [考えている]

8月の頭に一週間の夏休みを取っていたりしたこともあって、ブログに記事を投稿するのは本当に久しぶりとなります。色々と書きたいことはあるので、これからボチボチとブログを更新していきたいと思います。今後とも宜しくお願い致します。

昨日から夏の高校野球甲子園大会が始まりましたが、その初日に私の母校が福岡県代表として出場しました。母校の夏の甲子園大会への出場は6回目、21年ぶりとなります。私が高校2年生の時にも母校は夏の甲子園大会に出場し、フェリーにのって球場まで応援に駆け付けたのは懐かしい思い出(その時は金沢高校を破り、夏の甲子園3度目の出場にして甲子園初勝利を挙げ、2回戦で日大二高も破り3回戦に進出したものの豊見城高校に敗れました)です。

久しぶりの甲子園出場ということもあって、東京、九州、そして関西からも同窓生たちが大勢、応援に駆けつけました。残念ながら私は夏休み明けの勤務初日ということもあって、甲子園球場には行けなかったのですが、次々とLINEに入る友人からの実況報告を楽しく読んだり、執務室のテレビで試合経過をチェックしたりしていました。

結果は残念ながら敗退、甲子園での勝利はなりませんでしたが、久しぶりに聴く校歌や(当時から変わっていない)選手たちのユニフォーム姿は、何とも懐かしかったです。そういえば私が高校時代に甲子園に応援に行った時に、引率の先生が「甲子園出場すると進学実績がガクンと落ちるんだよなあ~」としみじみと語っていたことを何故か鮮明に覚えています。その予言通り、私は現役での大学受験に失敗、その上、二浪までして何とか第二希望の大学に滑り込みました(泣)。

この歳になると、母校や同窓の活躍がとても嬉しく感じるようになります。選手、生徒、父兄、そして監督や先生方、応援してくれた皆さん、本当にありがとう、そしてお疲れ様でした。

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こちらは甲子園に応援に行った友人がLINEで送ってくれた写真


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気分を新たに新年度を迎えました [考えている]

今日は実質的な新年度のスタートということで、気分を新たに朝を迎えました。昨年春に多発性筋炎を患ってから、これまで感染症予防のため、マスク着用の上、出社時間を少し遅らせていたのですが、3月末に通院し、チェックした結果、ほぼ正常値となったことから、今日から定時に出社することとしました。併せて、病気になる前は、自分で作ったり、時には家内に作って貰ったお弁当を、ほぼ毎日持参していたのですが、ここ暫くは専らカロリーオフのご飯パックにレトルトカレーをかけたり、カロリーオフのカップ麺で済ませていた昼食も、今日からお弁当中心の生活に改めようと、少し早めに起きてお弁当を自分で用意しました。

そして、今日は勤務している会社の入社式に出席、社長の歓迎の挨拶や初々しい新入社員の姿を見、決意の声を聞き、改めて自らを戒める機会を得ました。

もう、55歳を迎え、私の会社生活も残り僅かです。私の勤めている会社では、このまま58歳になると役職定年を迎えることとなります(定年は60歳)。まずは、これからそれまでの3年間、今日入社してきた新入社員と同じ気持ちで、充実した、悔いのない会社生活を送りたいと思います。英語の勉強や専門分野における知識、スキルの向上と資格の習得等、やるべきことは沢山あります。一日一日を大切にしながら過ごして行こうと決意を新たにした次第です。また、英語や勉強に加え、今年度からはここ一年ばかり真面目に取り組んでいなかった「読書」を復活させようと思っています。三日坊主にならないよう、頑張らなくっちゃです。

以上、新年度を迎えた、焦燥する中年男の独り言でした。チャンチャン。

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今日、会社に持参した弁当箱とスープジャー。食べる前に写真を撮ればよかったのですが、すっかり忘れてしまい、食べ終えた後に気付き、慌ててこうして写真を撮った次第(とほほっ)です。今日のお弁当ですが、おかずはコロッケとゆで卵、特製の玄米、もち麦、雑穀入りのご飯に大きな梅干し、そしてスープジャーには、昨日作ったキャベツたっぷりの野菜スープを入れて持ってきました。この弁当箱は、昨年、多発性筋炎を発症後に家内が新調してくれたもので、今日からやっと本格的に使い始めました。


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今月で55歳になりました [考えている]

今月で私は55歳になりました。若いときはまったく気にしていなかった「歳をとる」ということが、次第に重みを増して実感するようになってきたのは、私の場合、ある意味とても辛いことです。55歳というのは多くのサラリーマンにとって、一つの大きな節目の年齢です。定年まであと5年となり、否が応でも、その後の第二の人生をどのように設計し準備していくか、考え、実行するタイミングとなっています。

これまで、私は無謀にも、いつも将来を自分に都合の良いように誤魔化し、勝手に夢見ながら生きてきました。でも、もうそれもさすがに限界のようです。今、私はまさしく正念場を迎えています。「気づいたときはもう手遅れ」という言葉通り、もしかしたら、もう間に合わないのかもしれません。「将来」のことを考えると、不安と怖れしか浮かびませんが、それでも、ここは何とか踏ん張らないといけません。

さすがにこの歳になると、泣きべそをかいてばかりというわけにはいかないので(苦笑)、五年後、十年後に「あの時、自分はあんなことで立ち往生しておったのか、本当に未熟者だったのだな。フォッフォッフォッ…」と笑い飛ばせていることを目指して、それこそ真剣に頑張ろうと考えています。

まずは今後、定年時に再就職することを前提に資格取得を目指すこととし、また、これまで不真面目だった英語の習得も本格的に取り組もうと考えています。どちらも根気のいる、息の長い取り組みとなりますので、自身で進捗状況を確認しながら計画的に進めていく予定です。

このブログでも適時、そうした自身の取り組みと成果を発表できればと思っています。不安で一杯ですが、決して俯くことなく、しっかり前を向いて、眼を見開いて、歩き続ける所存です。

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こちらは、昨年私が多発性筋炎で入院する際にも私を勇気づけてくれた(その時の記事はこちら→http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2016-03-24)、自宅前の塀のちょっとした隙間に咲いた「花にら(ハナニラ)」の花、今年もこうして元気に咲いてくれました。去年咲いたのは三月下旬でしたが、今年は、(私の状況を知って勇気づけるためということではないでしょうが)一ヶ月近く早く咲きました。この可憐ながらも逞しい生命力には感動することしきりです。こうして私はまた、少し救われました。


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あけましておめでとうございます 本年も宜しくお願い致します [考えている]

新年明けましておめでとうございます。クラシックやジャズを初めとした音楽鑑賞や読書の記録、日々の雑感などを自分勝手に書き殴っているこのブログも、今年の七月で丸8年を迎えることとなります。一体、どんな方が読んでくださっているのか、私には見当もつきませんが、今年も宜しくお願い致します。

昨年、古本屋で土井勝先生の「お正月料理」(料理社)を購入し、今年のおせち料理は色々と家で作ろうと意気込んでいたのですが、家内の体調が優れなかったり、私が雑事に追われたこともあって、家ではローストビーフくらいしか準備できませんでした。結局、いつものように、昔、東京赤坂で割烹を営んでいた、八十二歳の義父が作って持ってきてくれた料理を皆でいただきました。

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土井勝著「お正月料理」(料理社)

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こちらが今年の元旦に頂いた料理。(写真をクリックして頂くと大きな画像で観ることができます)

その後、赤坂の豊川稲荷に義父母、家内と私と次女の三人(長女は元旦からアルバイト)で初詣に行き、その後、自宅に戻り、長女も揃ってみんなですき焼きを食べました。

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東京赤坂の豊川稲荷東京別院。初詣の参拝客の列が長く連なっていたので、さぞかし時間がかかるかと思われたのですが、スムーズに列は進み、赤坂に到着してから一時間後には参拝も終え、近くのホテルニューオータニでラウンジで皆でお茶をすることができました。いつもは赤坂日枝神社に初もうで行くことが多かったのですが、こちらの方が楽ですね。隠れた穴場といったところでしょうか。

元旦の夜から次女が体調を崩したため、二日は朝から次女を病院に連れて行った後、夕方、家内と長女の買い物に付き合い、三日は亀戸の姉夫婦のところに年初の挨拶と、昨年末に腰椎の圧迫骨折となり、今は姉の家で寝ている母を見舞いに行ったりして、お正月の三が日は過ぎて行きました。

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そしてこちらが二日に横浜のヨドバシカメラで購入したカシオの英会話・英単語学習機「JY-L02」。お正月ということもあり、通常価格の1000円引き、(Amazonよりも安い)6660円(税込)で手に入れることができました。さっそく、三日から使い始めてましたが、もう少し慣れてから詳しいレポートをアップしたいと考えています。とりあえず三日坊主にならないよう、頑張ります。

昨年は体を壊したりと散々な一年だったので今年こそ良い年となりますよう、気持ちを切り替え、頑張る所存です。皆さまも良いお年をなりますよう、心よりお祈り申し上げます。


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今年もありがとうございました。 [考えている]

この私のブログを読んで下さっている皆様、今年も本当にありがとうございました。今年は、難病に罹り、三月から1ヶ月ほど入院したり、相変わらず経済的には厳しい生活を強いられ精神的に追い詰められたり、年末暮れになって、母が腰椎を圧迫骨折したりと散々な一年でしたが、それでも一年なんとか暮らせたことを感謝したいと思います。

こうした厳しい一年において、いつも私を支えてくれたのは友でした。友のありがたみを本当に痛感し、そして感謝した一年でした。もちろん家族、そして肉親(母、姉)にも支えて貰いました。結局、私はそうした周りの方々に救われ続けました。私自身は誰かを支えることはないまま、皆さんに甘え続けた一年でした。来年こそは、その恩返しができればと思っています。

この歳(五十代半ば)になって、どちらかというと楽しいことよりも辛いことの方が多くなるようになりました。自身も正念場を迎えているのだなと思います。家族のためにも頑張らなくっちゃ、ですね。

今年一年、皆様には当ブログの閲覧数で元気づけて頂きました。皆様が良いお年をお迎えくださるよう、心より祈っております。ありがとうございました。



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五音音階、47(ヨナ)抜きについて [考えている]

かなり前の話で恐縮ですが、5月21日付の朝日新聞朝刊の「耕論」面で、「演歌は日本の心、か」というテーマで各方面の専門家がそれぞれ意見を述べていたのですが、その中で私の興味を特に惹いたのが音楽評論家のスージー鈴木氏のコメントです。

彼は、明治維新後の日本に西洋音楽が入ってきたものの、ドレミファソラシの七音階が当時の日本人にとって複雑だったことから、第四音、七音のファとシを使わない五音音階(47抜き)が作られ、この五音音階の音楽が明治以降、1970年代後半まで日本で親しまれてきたと指摘した上で、60年代にビートルズをはじめとした七音階をフルに使う音楽が若い人に受け入れられていく中、特に1970年代においてそうした音楽についていけない人(主に中高齢者)への音楽として「演歌」が生まれ(注)、洋風の七音階に対抗するための論理として復古派による「演歌は日本人の心」という文脈が生まれたのではと論じています。
(注)同じ朝日新聞朝刊「耕論」面において、大阪大学准教授の輪島裕介氏は「演歌」というジャンルの呼称が生まれたのは1960年代後半であると指摘しています。

私はこの記事を読んで、初めて五音音階、47(ヨナ)抜きの事を知りました。この記事によれば、この47抜きでできている曲としては、

江利チエミ        「テネシーワルツ」(1952年)
ハナ肇とクレイジー・キャッツ 「スーダラ節」(1961年)
ピンからトリオ       「女のみち」(1972年)
殿さまキングス       「なみだの操」(1973年)
竜鉄也          「奥飛騨慕情」(1980年)
などがあり、また、Wikipedia(「ヨナ抜き音階」解説)によると、

坂本九          「上を向いて歩こう」(1963年)
千昌夫          「北国の春」(1977年)
渥美二郎         「夢追い酒」(1978年)
など、そして、21世紀に入っても、氷川きよしの「箱根八里の半次郎」、「星空の秋子」は47抜きで出来ており、また、歌謡曲においても太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975年)、谷村新司の「昴 -すばる-」(1980年)等は47抜きだということです。

確かに47抜きの曲って、とても歌いやすいですよね。前述の朝日新聞の記事で、スージー鈴木氏は47抜きは七音と比べて音の隙間が広いため、この隙間を埋めるために、特に演歌の特徴である「こぶし」が生まれたと述べています。なるほどと感心するばかりです。聴く耳の方は、もう七音階にすっかり馴染んでいるものの、歌うとなると、私のような下手くそだと、7音階はちょっと難しくて五音階の曲の方がシンプルで歌い易いという訳なのでしょう。

Wikipediaによると47抜き音階は雅楽の呂旋法がこれに当たり、明治以前から伝わる日本の童歌や民謡のうち、陽旋法の物はすべてヨナ抜き長音階と同じ音程を使う音階であると述べています。その点で47抜き音階は日本固有の音階として明治以前から定着していたのでしょう。それが明治以降における西洋音楽の導入に伴い、その複雑な音楽を如何に「日本(和風)化」するかというとで、本格的に用いられるようになったということなのではと理解しました。

この五音音階の話は私にとって、とても興味深いものでした。今、私たちは七音階のみならず、シェーンベルクの12音階技法を用いた現代音楽曲等も、殆ど抵抗なく聴いていますが、そうした複雑な音階を理解できる「耳」の発達があればこそなのだと改めて思った次第です。 

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写真は太田裕美「木綿のハンカチーフ」(EP)、私のように地方から大学進学で上京した身としては、この曲の歌詞(松本隆作詞)が何とも切なく、そして重いものとして感じられ、特に忘れられないものとなっています。


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